「やっぱり尾道の教育を考えよう市民の集い―高須小問題から見えてくるもの」
              野田正彰さんの講演内容             2003年7月24日

 尾道にはあまり来たことはなかったんですが、因島の先生のことで調べにきたことがありまして、しばらくして慶徳校長がなくなって3日後にテレビ局に呼ばれまして市議会の傍聴に来ました。こんなにつきあいが長くなるとは思いませんでした。偶然も重なり、広教組のほうから配慮していただき、おそらく私が関係者に一番お会いしていると思います。亡くなった慶徳校長のご遺族の方、教頭先生、などいろんな人と話をさせてもらっています。全体の関係は見えていると思います。

 当初、慶徳さんが亡くなられた3月の時点で、私は亡くなった3日後の尾道市議会の予算委員会に傍聴に行きました。その時、どういう発言があったか。亡くなった教育次長を中心にしてそれを繰り返すようにして、教育長がいっていました。「おやっ」と思ったのは、亡くなった慶徳校長は情緒不安定で5月の中旬に学校を休職させてほしいという話があったけれども、「その後サポートをするということで元気になっておられた」ということを言っておられました。情緒不安定という言葉がみなさんの中にもあると思いますが、非情に否定的な言葉です。ニュートラルな言葉ではありません。およそ社会人として銀行マンとして勤めていた人が情緒不安定という言い方をするだろうか。私はノーだと思います。それから教育委員会が人のことを情緒不安定だと言うということはとんでもないことだと思った訳です。おそらく何かあるなと思いました。そこで私は、予算委員会が終わってつかつかっと前の方に行って、テレビ局の人に撮ってていいですよといって教育長に話しかけました。

 「民間から校長に来てもらってさぞ校長も自分の学校運営について希望をもっていただろうし、教育長も期待をしていたでしょう」と質問しました。すると山ア教育長は、「話したことは一度もありません」と答えました。私はこの答えにビックリしました。そんなことはないだろうと思ったんですが、「運動会などで元気にされてるのはみましたけど」と言われました。その程度が広島の教育の状況だなと思いました。それから、マスコミが「情緒不安定発言」の裏側にあるものを探ろうとしましたが、何もでてこないまま5月下旬の尾道市教育委員会と広島県教育委員会の報告書になった訳です。

 あの報告書は非常に「ずさん」で、非常に「政治的」文章です。政治的というのは、4年前に世羅高校の校長が亡くなったときに状況を切り開こうと、悪名代官のような辰野教育長が指揮をとったんだろうと思います。今回の報告書は辰野報告書のコピーです。問題が起これば常に、「教職員との対立があった」と。そして、最終結論は常に決まっていて、是正指導を進めて組合を排除し、同和教育を排除しという「結論ありき」の文章となっています。

 そしてずさんというのは、市教委と県教委の報告書を読み比べてみますと、ところどころニュアンスが違っています。ごまかしのトーンがところどころ違っています。市教委の報告書は苦しそうな、県教委ほど心臓にコケが生えていませんので、ところどころに事実が見え隠れしています。PTAによって慶徳校長は使われていた。それが60日か70日ありました。そのことが負担になっていたということが書かれています。また、情緒不安定のため休職のお願いをしたが励まして8月の時点でまた情緒不安定になったが・・と書くなど、自分たちがやったことを一抹、良心のやましさを感じたようなニュアンスの文章が入っています。しかし、彼らはそういったことを意図せずに入れながら、報告全体のトーンは是正指導をいっそう進めるといった方向でまとめています。慶徳校長の校長としての指導体制が確立されていなかったのだから是正指導を進めるといった形になっています。これは、4年前の報告書のコピーです。

 そして彼らは問題が鬱状態の人をここまで追い込んだということを、世羅高校の時と同じようにはできないと思ったんでしょう。巧妙な処分の仕方を考えました。一つは市教委の教育長の処分と県教委の教育長の処分を行っています。そして、研修が2日だったとか、サポートが足りなかったと言いながらです。これは巧妙なやり方だなと思ったんですが、なんと前校長の真神田さんを処分しているのです。理由は「高須小学校の教職員に対して校長の指導体制、つまり独裁体制が確立されていなかったから慶徳さんは苦労したんだ」という大変手の込んだやり方で処分をしています。そして、教職員のゆがみがあるということを印象づけようとしたわけです。みなさん、考えてみてください。なぜ、前校長に1年後に起こった事件の責任があるのでしょうか。教職員も前校長の真神田さんの時とは替わっているはずです。学校も変わっています。にもかかわらず、手の込んだことをして問題をすり替えるということをやっています。

 この報告書を読んだとき、このままにしておくわけにはいかないと思いました。亡くなって2ヶ月もたたない遺族の方を訪ねていくことは躊躇がありました。また、いろんな新聞社の方から「遺族の方は誰ともお会いにならない」と聞いていました。しかし、私は医師として遺族の方を訪ねていきました。こういう形で人が死んでいくということ、このことが子どもたちに与えるメッセージは世羅高校の校長先生と同じなんです。世羅高校の校長先生も若山牧水の歌を引用して「自分を大切にし、自分らしく生きてください」という文章を子どもたちに書きながら自殺しているんです。「自分を大切にしてください」と言う人が自分をもっとも不幸にする社会とは何なのか。慶徳さんも「子どもたちに自分を大切にしてください」などといいながら死んでいる。こうしたことをもっと真剣に考えなくてはいけないということを遺族の方にお伝えしました。遺族の方は、「そうは言っても先生は教職員組合の依頼をうけておられるし、先生に話すと言うことはそういうことにつながる」ということでいろいろありましたが、焼香させていただいて、話を聞きました。その中で私は疑問に思っていたことを一つひとつ確認していきました。

 一つは、慶徳さんは、学校にいきたくて、校長になりたくてなったわけではないということです。奥さんはこう言われました。「夫は子どもは好きではありませんでした」。つまり、銀行のいわゆるリストラ年齢でして、学校の事務職だったら行ってもいいということだったんですが、県教委と地元の財界のトップである広島銀行の間で、学校の校長にうまく送ればいいんだという発想が生まれたわけです。教育委員会は「ともかく民間からくれば学校が変わる」という単なるスローガンにおぼれているわけですから、慶徳さんをとったと。慶徳さんとしては学校に行くことに大変躊躇があった。遺族の方は、「学校にいくことは急に決まったんですよ」と言っておられました。急に決まって、しかも教育ということには全く関心がなかったわけですから、「せめて家の近くで、家から通える範囲で小さな学校にしてください。地域の問題など抱えていない学校にしてください」という希望を出していました。そして、これがもしかなえられないなら、断ってもいいという話を広銀がつけてあったそうです。しかし、教育委員会は記者会見の前日の夜に高須小学校に決定したことを通知してきたわけです。次の日は記者会見ですから交渉の余地がないわけです。教育委員会の報告書を読んでいただければわかると思いますが、報告書の資料に、慶徳さんの校長になる抱負があります。悪いけれどあの文章に心に響くものはほとんどありません。たんなる作文です。これが事実です。

 そして、彼の行った学校は彼の予想をはるかに超えたすさまじいものでした。まず、組合が調べた訳ですが、前教頭はほとんど休みをとっておりません。毎日11時近くまで学校で働いている状況です。そんな中に何も分からず慶徳さんが行くわけです。激務の中に巻き込まれる。その中で藤井教頭が脳内出血で倒れるということが5月に起こるわけです。おそらく慶徳校長は、「自分は学校の教育などやりたかったわけではない。どうしよう」と悩むわけです。そういう思いの中で日々耐えていたんだと思います。そして、このままではだめだと思ったんでしょう。5月13日の朝、山ア教育長に「これから農協病院に行って来る」と通知して、診断に行きます。診断書をもらって市教委に行っています。その診断書を見たという人を2人知っています。そこに待っていたのは教育長、教育次長、課長、校長会会長、前校長の5人です。教育次長は否定されましたが、ここで診断書が出されたとその場にいた1人が証言しています。しかし、未だに嘘を言っています。考えてみてください。社会人として勤め上げてきた人が自分のことを情緒不安定という人格を表現する言葉を使うでしょうか。一時的なものではありません。それから、今まで部下の休職を扱ってきた人が、休職させてほしいと言うことを診断書もなしに、そんなことを言うはずがないじゃないですか。そんなことを報告書は平然と言っているわけです。「自分は診断書を見ていない」と嘘を言っていますが、管理職は「休職させてほしい」と言う人に対しては、「病院は行ったのか、診断書はあるのか」と言うべきですよ。いかなる状況を見ても彼らが嘘をついていることは明らかです。

 しかし、それから後ずっと教育委員会は組合憎しで、彼らの言うことを聞く「イエスマンの民間人校長」を送り込んで学校を都合良く変えようとしたわけです。しかし、彼らはどんな学校をつくるかという本当のビジョンは持っていません。ただ民間から送り込めばいいと考えている。今の政府と同じです。規制緩和と唱えていれば規制緩和できるかのような愚かなことをやっているのと同じです。教育委員会は慶徳校長に民間からの登用というプレッシャーをかけ続けたわけです。民間から来た人に「成果を上げてほしい」と言い続けました。

 そしてPTAの方にも多くの問題があったと聞いています。夜遅くまでのPTAの会合に出なくてはならなかった。そして、民間からきて何もわからないと困っている校長を、扱いやすいと見たのか、いろんな形で「使い走り」をさせるというようなことをしていました。運動会の問題など学校が決めたことをPTAが変えさせる。ある日、スポーツ会があって、校長が会場に行くと終わったあと会長に「学校の日の丸の旗を持ってきたから、学校にかえしておいてほしい」と言われたそうです。慶徳さんは、いかに私が民間から来て何も知らないからといって、学校のものを勝手に持ってきて、それを「返しておけ」というのはあまりにも馬鹿にしていると言っていたそうです。この調子の「使い走り」が続いていたようです。

 結局、みんなが不幸な状況をつくっていったのです。自分は来たい場所でなかった学校に来、教職員はどう扱っていいかわからない。わたしは、みなさんに考えてほしいと思います。私は医師であります。私の病院に院長として銀行の方がこられたら私はがまんできません。病院の経理について来られたのなら納得もしますが。専門職ですから自分の権威において仕事をしているわけです。権威において他の部下も一緒に討議ができるわけです。学校を天職として選んだ人の前に、教育が全くわからない人が来る。そんなことが許されていいのでしょうか。

 よくアメリカ的なことを政府はいいますが、アメリカでもそんなことはありません。例えば副校長として補佐的な役として民間人を起用するのはわかります。しかし、子どもたちの教育を天職として選んだ人の前に、授業も全くわからない人が自分の教育の在り方について評価をする、そんなことがみなさんは耐えられますか。そんなことで職業のモラルは守れますか。私はマスコミの人に聞きました。「もしあなたの職場に編集長として銀行からきたらどう思いますか。紙面をつくる全体の管轄者が全く関係のない銀行から来たらどう思いますか。仕事なんてやってられないと思うでしょう。」と言いました。反論する人はだれもいませんでした。ここにおられるみなさんもそうではないでしょうか。自分が天職として選んだ仕事を、全く関係のない人が管理をする、評価をする。そんな中で仕事がやっていけるでしょうか。これが現在の文科省が、他の省庁が規制緩和、民間活力といっているから自分たちもやらないといけないと思って行った民間人校長の制度です。そして、日教組出身の議員も含めてこの法案は賛成されつくられています。私のような医療の現場でそのようなことが起これば、厚生省は吹っ飛ぶでしょう。しかし、学校現場だけこのような無茶苦茶なことが行われているわけです。

 そして、一番不幸なのは慶徳さんでした。慶徳さんの一日の様子はいろんな教職員から聞いています。ほとんど校長室から出てくることはなかった。子どもたちとの接触もほとんどなし。そして、教頭さんが慶徳さんにかわって多くの書類をつくっていく。教頭は校長に様々な提出書類の説明をしなくてはならない。その結果、教職員組合が調べたように、まだ40代の若い教頭が心筋梗塞で倒れることになった。彼の勤務時間を調べるとほとんど11時ぐらいまで学校にいて、朝は7時ぐらいには学校に来ています。ちゃんと記録に残っています。因島からです。1時間ちょっとの車でかかる距離を通っているわけです。想像を絶する勤務状態です。12時近くに学校を出て、家に帰る気力がなく橋のたもとで1時間ほど仮眠をとって帰る。そして、数時間寝て朝学校にくる。こんな生活をしていて人間がまともな教育ができるわけありませんし、人間として生命にかかわる問題です。かくして坂井さんは心筋梗塞で倒れるわけです。

 この背景の一つには、教育委員会による膨大な書類の作成があります。朝と午後と2回書類がくるわけです。それには、例えば「このとき国旗はだれがあげたか」、「教職員はどうしていたか」、「注目していなかったものはいるか」など、そんなことを全て報告させるわけです。そこに最低限の人間としての人格の尊重はありません。書類だけです。書類で管理するためだけです。教育委員会にはなんのために管理するかという考えはありません。おそらく何かあったとき言い訳ができる。そんな発想だと思います。書類の数は2000近くです。こんな愚かなことが行われていた。そして、慶徳さんはその書類をどうやって作っていいか分からない。その書類を教頭がつくり、その説明を延々と行っていた。そういう状況にあったわけです。その中で慶徳校長は悩み、苦しんで病院にいって診断を受ける。薬を投与する。遺族の方は日々不安でたまらなくて、「死んではいけない」と思って、送り迎えをしていたそうです。学校は人目があるからなんとかなるんではないかと思っていたそうです。学校から夜帰ってくると日々つらそうな顔をしている。そんな生活が続いたということです。これが学校の現実です。嘘の報告書とデマが飛び交っていますが、現実はこういった状況でした。

 そして、坂井さんが倒れ、慶徳さんは「この一年耐えたんだから、最初希望していたように、家から通える小さな学校に変えてほしい」と訴えます。ところが、教育長はこう言っている訳です。「あなたは民間から来た人で、成果を上げずに一年で代えることはできません」と。私は精神科医として、この言葉、この対応が自殺の引き金になったと思います。人間というのは苦しくて、自分がこの場にふさわしくないと思ったとき、どうやって耐えるかというと指折り数えて耐えるんです。「この日がきたら解放される、この日までがまんしたらなんとかなる」と思ってがんばれるんです。しかし、その日が来る前に、「その日はないよ」「もう一回延びるよ」と言われた時、人は突然に耐える力を失います。それはいろんな自殺のケースをみてもそうです。私はこの言葉は決定的に自殺の引き金を引いたと思っています。そしてあの不幸が起きたのです。

 それから、愚かな辰野の後任者である常磐は、以前の報告書と同じようなものを書けばいいと思ったんでしょう。しかし、今回はそううまくいかなかった。私たちはその虚偽をずっと指摘し続けてきたし、マスコミもその虚偽に気づき、質問をしてきました。その結果何が起こったかというと、まず、山ア教育長は逃げました。一番表に立って、「自分がしたことは悪かった。教育の場でこんなことが起こってはいけないし、国民に嘘を言うということは公務員として許されない。教育に携わる者として決定的な過ちを犯しました」ということを言って彼は責任をとるべきでした。そして、常磐も同じことを言って責任をとるべきでした。

 しかし、山ア教育長は病院に逃げ、そして、教育次長に報告書を無理矢理つくらせた。診断書を5月に見ていた教育次長に報告書を書かせ、訂正させたプロセスがあります。彼は教育畑で生きてきた人間ではありませんでしたから、まだ、心臓にコケが生えていなかったのでしょう。自分が嘘を言ったということにやましさを感じ、しかし上は責任をとろうとはしない。そういうなかで彼は苦しくて亡くなっていったと考えます。

 彼の死は日本のよくある不正事件の時の中間管理職の死であります。沈黙することで問題が消滅することを願うという日本的なやり方です。こういったことを私たちは容認してはいけないと思います。悪いことをした、県民・国民に対して嘘を言ったということに対してはきちんと謝らなくてはならない。そして責任をとるべきです。それが、新しく学校教育を変えていき、改革していく道ですからそれをひとつひとつやっていくべきで、うやむやにしてはいけないのです。しかし、罪を認め、謝罪することをしませんでした。いずれにしても公務災害を申請すると言っていますから、申請の中で診断書が出されたことなども明らかになっていくと思います。次長はそのことも知っていたと思います。その中で疲れ果てたのでしょう。そしてこれは言い過ぎかもしれませんが、教育次長は認めないといけないと言ったものを、県教委から認めさせないという圧力があったかもしれません。いずれにしても彼は自分の判断を奪われ、出口を無くして亡くなっていったんだと思います。これが今の状態です。

 ここで教育全体の状況についてお話します。視点は3つあります。1つは文部省・教育委員会という上からの上位下達の体制についてです。2番目にその影響下にある教職員の状態、そして3番目に子どもたちの状態をお話したいと思います。

 文科省全体が右傾化にあるわけではありません。わたしは本をいろいろ書いていますが文科省を退職した方から手紙をもらうことがあります。「自分の勤めていた役所がこんなにも腐敗していくのは耐えられません。でも、自分はもう何の影響力もないので何もできません」という手紙をもらうことがあります。こう言われると私も不愉快ですが、「先生がんばってください」みたいなことを言われます。一方で文科省には自民党の右派勢力、

文教族がかっちりといます。例えば奈良の奥野とかウルトラ右派がいて文科省に圧力をかけています。そこでおめでたい若い官僚が自民党の文教族とつながっていこうとする。出世をねらうという構造ができあがります。その官僚が極端に右よりな発言をし、頭角を現していくという構造がもう15年ぐらい前から始まっています。北九州でリクルートの汚職で逮捕され退職した高石です。彼は北九州で日の丸・君が代の問題で頭角を現してきました。

 一連の動きの中で文科省は指導要領で現場を縛りつけようとしてきました。指導要領はかつては戦後まもなくは文科省から先生方への一つのメッセージだったんです。先生方に、このようないろいろな形で教科書をつかって教育をしてくださいというメッセージだったんです。教育基本法第2条にも、戦前の教育を反省し、すべての先生には「学問の自由を尊重する」と書いてあります。これは大学の先生に対してだけではありません。個々の先生は実践をもって教育を進めていいんだということが書かれているわけです。指導要領はひとつのモデルだったわけです。それを参考にして議論をしていけばいいというものだったわけです。それをいつの間にかこれは法律だなんて言うようになりました。法律というものは国会で決めるものであって、絶対に各省庁で出す通達は法律ではありません。しかし、それがいろんな所に入ってきて、あんなに薄っぺらい教科書なんて日本以外にありません。外国の教科書は相当厚いです。そして、全部教えなくていいんです。それぞれの先生がどういう子どもをつくっていきたいかで教える部分を決められるんです。しかし、日本の教科書はだんだん色だけはカラフルになって、中身は薄っぺらになってきます。そして、「それを使え。使わないと処分する」と言ったりしています。そして、旗と歌、国旗・国歌を使って、右を向けと言ったら右をむく教職員をつくろうとしています。そういう人間に変えていこうとしています。

 なぜこういうことをしようとしているのでしょうか。彼ら自身もどうしていいのかわからないからだと思います。子どもたちが変わってきているからです。1970年代の後半から日本は大変豊かな社会になりました。それまでの日本の社会は、子どもたちに対して「あなたは勉強をしないと将来食べれなくなるぞ。勤勉でないと困るぞ」という脅しをかけ続けてきました。「この地域に生まれてよかった。この土地に生まれて幸せだ」というメッセージをこの国の政府は一度も送ったことがありません。「競争に勝ち残らないと生きていけないぞ」という脅迫や圧力をかけ続けてきました。

 しかし、1970年代後半から大量消費社会に入っていきます。子どもたちは大人が「しっかり勉強しないと生きていけないぞ」と言っても実感がなくなりました。商品があふれている社会です。その中で子どもたちは分極化してきています。一つは単に教育を成績ゲームとしてみる子どもたちが3割か4割です。成績がいいからとか成績が上がると良い学校にいけるからというぐらいの発想で、まさに社会感が未熟です。そして、中学の2・3年ぐらいから自分はこれくらいの成績だからこれくらいの学校・就職と将来が見えたつもりでいる子どもたちです。15・16才の子どもを対象としたアンケートでは「将来はもう見えている」と答える子どもたちが6割7割になっています。

 また、総務庁が行ってきた先進国での社会観の調査では、「社会に不正があったとき、合法的なやり方(例えばデモとか陳情とか投書)で抗議しますか」という調査があります。これは1980年から取り始めたデータですが、日本は大変危機的な状況にあります。先進国ではほとんど50%前後の青少年が「抗議をする」と言っています。しかし日本は突出して少ないです。20%ほどです。そして、「なぜ抗議しないのか」という質問に、「言っても無駄だから。自分がしてもこの社会は変わらない」と答えています。つまり、今の若者は社会とのつながりが切れている。砂のようになっているのです。文科省は社会に関心をもって政府を批判する子どもを、安保闘争などでこりてつくらないようにしてきました。そして、同時に国益のために「愛国心」を持ってくれたら、彼らにとって言うことはなかったでしょう。しかし社会観を持たない子どもは、この社会がどうなろうと関心を持たない子どもです。つまり、砂状になっているのです。そして砂を「愛国心」でギュッと固めたからといってくっつきません。それなのに、それを盛んにやっているに過ぎません。

 情報社会が70年代後半から進んできます。若者たちは携帯電話など、情報だけでつながっています。周りの子どもたちをみてください。本当にお父さんお母さんたちと「自分はこう思う」と会話を楽しんでいる子どもがどれくらいいるでしょうか。周りの同世代の子どもたちに「自分はこういう風に感じた」と伝え、それを伝えることによって「相手はそう感じないんだな」というふうに多様性を実感します。それは人間の喜びです。ある問題について「こういう風に感じるよ」と言われ、自分の考えが訂正される。それが子どもを育てていくプロセスです。しかし、今の子どもは違います。小さいときから「仲良くすること、適応すること、目立たないこと」を教えられます。もし、感じている、思っていることを言うと次の瞬間、それはいじめの材料にされるかもしれない。それくらいの警戒心をもって小さいときから生きています。子どもたちは表面的なつきあいは非常にうまくなりました。しかし、次第にこの情報化社会の中で「内面が空っぽ」になってきているわけです。空っぽの中で自分を中心とする非常に勝手な妄想の世界を作っていきます。マニアックな情報も入ってきます。その中で自分を中心として「全能の世界、マジックの世界」を作っていきます。今、子どもたちにうけているアニメなどはまさにそうです。

 そして80年代からはやっている遊びは、私は「自閉の遊び」とよんでいますが、他者との交流からの喜びではなく自分を中心とした自分だけの世界をつくる遊びがはやります。こういう中で子どもたちが事件を起こし、自殺する数が増えていっているわけです。いかにごまかそうと、少年事件は80年代から増え続けています。そして90年代になって凶悪犯罪が増えています。「普通の子」が起したということがよく言われている。結局は、表面的にはあるように見えても、他者とのつきあいがほとんどなく、内面は自分のことだけでうまっていて、サディスティックな情報が入ってくるとそれに異常なオタク的な関心をもってきます。私は大学でいろんな相談を受けていますが、子どもたちの傾向だと思っています。多かれ少なかれ、みんなが自閉思考に生きる。これはおよそ教育基本法に書いてある、「教育は人格の完成をめざし・・」とは違います。人格をいつわったり、相手によって人格を分割したりする子どもたちをつくるのは教育ではありません。統一した自分で人格をつくり、他者との関係をもっていくという教育のプロセスとは全く違う方向に80年代からの教育はあります。

 それを文科省は認めたくありません。競争の中で、大学院の重点化などと言い、近代教育はうまくいっていると言いたいのです。しかし、一方では事件は起こり続けています。不登校も増え続けています。その中で「心のケア」等と言っていくという状況がつくられているのです。しかし、なんとごまかそうと、子どもたちは自分の内面が空っぽになって、周りとの対応だけがうまくなっていっているのです。そういう子どもたちに「愛国心」を外からぎゅっと固めることによって、かつての大政翼賛的な人間をつくろうと昔のコピーをしているわけです。しかし、現実はこういう状況になっています。

 この状況を変えないといけないのはみなさんですし、学校の先生方です。こういった問題に直面し、きちんと変えていかないといけないと思います。文科省のやり方は絶対に失敗します。問題は起こり続けます。

 一方、学校の先生方に今、何が起こっているでしょうか。どんな先生に話を聞いてもいつもこういいます。「そんなこと言っても仕事が多いですから」、「学校の先生を辞めたい」。今、「学校の先生を辞めたい」という人はだいたい4割ぐらいです。しかし、転職がききませんからやめられない。そして中途退職する人が非常に増えています。広島県は非常に中途退職者が増えています。そして、定年退職した人の話を聞きますと「ラッキー定年」と呼んでいますが、「いま辞められてラッキー。これからの人は大変だ」などと必ず言います。こういうような状況、精神状態にあって、「子どもたちに自分らしく生きなさい」なんて白々しく言えるでしょうか。「白々しく言うのが大人らしい生き方だ」というメッセージを子どもに伝えているに過ぎません。先生方は多忙化で物を考えることを奪われ、書類に追われ、学問の自由、教育の自由があったことすら忘れているのではないでしょうか。思考というのはゆとりの中で生まれます。くだらない書類をつくるより、なんとなくぼーっとしている中で、あの子のことがふと浮かんできて気になったりして、人間としてのつきあいが深まっていきます。そんなことが全て忘れ去られています。

 例えば、私も学校の参観に行きます。先生は一生懸命大きな声で(声量もチェック項目にありますから)、プリントつくって黒板に向かってしゃべっています。この熱意はすごいなぁと思うんですが、子どもたちは横をむいてざわざわしゃべったりしています。ほとんど聞いていない学校がたくさんあります。私は校長に、「こんな状態だったら授業なんかやめて、子どもたちと一緒に『学校ってなんだろうか』を話し合ったり、学校文化、学校の気風を変えていく方が大事ではないですか」と言っても、「そうは言われても決められていますから」、とか「そんなこと考えるゆとりがありませんから」と答えられます。どの職種もそれなりにこなそうとして、子どもたちはおとなの社会はどうなっているかと確実に認識しています。

 一部の先生は、運動会の儀式など一律に乱れずにやったら成功だと思っている。あんなことはやるべきではありません。しかし、そんなことが評価されていますし、成績向上ゲームに走る。そんなことをすることがプロ教師だと言っている人が一部にはいます。わずかな子どもの付き合いになぐさめられて、なんとか定年までがんばろうと耐えている先生もおられます。それからもう学校は学校とわりきって、自分の趣味に走っている先生もいます。それから指折り中途退職を数えている先生もいます。

 それら全体が混乱しながら、学校の先生の休職は増え続けています。広島でも「是正指導」以降急速に休職者が増えています。全国でも「日の丸・君が代」の強制が始まった6年間で30%から40%の増加率で休職者が増えています。その増加分が全て精神疾患です。こんなばかなことはありません。私は対比するために知事部局の一般公務員のデータを調べたことがあります。知事部局は休職者も精神疾患も全く増加していません。しかし、学校の先生だけ増えているのが現状です。私たちが取り組まなくてはいけない問題は待ったなしだということです。

 精神学者として海外の学校の調査もいくつかしています。そういうものを見ると、日本の教育の弱みというのを非常に強く感じます。今、情報化や大量消費の社会になっていますが、私たちは人間関係を豊かにする社会を作って行かなくてはいけません。それは小さいときからこう感じたということを人に伝えて、そして、会話するなかで自分が訂正され、また人はこう感じているんだと実感する。それが生きていることの喜びなんです。精神の発達段階を作って行かなくてはいけない。おとなである学校の先生は、子どもたちに知識を伝えながら、「この世の中、この社会に生まれてきたことはこんなに楽しんだ」ということを伝えることが仕事です。

 市民の方は学校の先生の不満をいろいろ言っていると思いますが、私はおかしいと思います。学校の先生はみなさんの代わりに子どもの教育をしてくれている方です。わたしの給料より学校の先生の方が高いとか言う人もいますが、そうではありません。近代教育のなかで親が必ずしもできない教育を専門家である先生がしてくれているわけです。そういう意味では、個々の家庭では右よりのおやじもいれば、左よりのおやじもいます。それが問題ではないはずです。問題なのは、個々の先生が自分の考えで子どもと付き合い、そしてPTAというのは、そこでおかしいと思ったことは話し合っていくことができる場です。

 PTAというのは戦後、教育現場に入れられました。アメリカなどのPTAの会合に参加したことがありますが、明らかに市民をつくるという精神が貫かれています。クリントンの不倫が騒がれた時、ボストンの中学校でグループでクリントンの不倫はどこまで許されるかということを話し合っていました。それをお父さん、お母さん、先生がニコニコしながら聞いているんです。時々自分の意見も言う。大人の社会について子どもたちがどんな風に感じているかを知ることを喜び合う。それがPTAなんです。そういう意味では、今回の高須小の事件は、学校で一番話し合うべきことです。そして、なぜこんな問題が起こるのか、この社会はどうなっていくのかを考えることで子どもたちは自分の感情を明らかにし、成長していくんです。それが教育ではないでしょうか。

 そこからずれて、「子どもたちの心のケアが大変だ」なんて的外れなことを書いている新聞があります。とんでもないことです。子どもは様々な社会の問題を見ています。一つひとつの問題を通して、子どもたちは社会性を高めていくわけです。そして自分の少年期はいろんな人との関わりを通して、「あんなこともしたい。こんなこともしたい」といろいろな動機を持つようになることが大切です。しかし、それはすぐにできるわけではない。一生かけていくつかのしたいと思ったことをできるような社会つくってかなくてはいけないのです。それが、私たちの学校教育から社会教育へのありかたです。森前総理は「教育勅語がよかった」なんて言いますが、それでは彼は教育勅語がなかったからあんな人間になったとでもいうのでしょうか。そう言ったでたらめなことがずっと横行しています。国会でも心の教育、道徳が問題になった時、参考人がこんなことを言っていました。「道徳教育というのは子どものためにあるんです。だから、道徳が破綻しているおとなが道徳教育をしてもいいんです。それはガンの医者がガン患者の治療をするのと同じことです」。こういうことを国会で議論しているんです。およそでたらめです。

 しかし、笑ってはいられないんです。子どもたちはそういうことを通しながら自分たちがこれから生きて行かなくてはいけない社会はどういう社会か学んでいるんです。それをごまかして、隠して、「心の傷を作らないように」などと言ってもだめです。一つひとつ社会認識をしながら、この社会を良くし、生きていることが楽しい社会であるということが実感できる社会。それを学校から取り戻していかないといけないと思います。



 講演終了後の質疑応答


参加者 今回の高須小の事件について教職員の責任はないのですか?

野田 教職員の責任は全くないと思います。先ほど言いましたが、学校の教育について全然認識のない人が学校に送り込まれたということについて、教育委員会は責任があります。学校の先生はそういう管理職のもとで仕事をしなくてはいけないという絶望感を持ちながら仕事をしていたと思います。

参加者 私はそうは思いません。たとえ民間人であっても法律が変わって、そうなったわけですし、教育が立派な人間をつくるためのものだとしたら、それなりの立派な人間だったらできると思います。

野田 なぜそう思うのですか?近代の長い教育の歴史があって、教職の単位があって、勉強をしてきているんですよ。あなたは何の職業をされていますか。あなたは、あなたの職業と全く関係のない人があなたの仕事をチェックするということになったらどう思われますか。私は精神科医です。長い訓練と経験を積んでいます。そこに全く仕事のわからない人が自分の仕事について「あーだ、こうだ」と言うなら、私は絶望しますよ。

参加者 それは私もいやな面もあると思います。しかし、学校教育は親の代わりに先生がやってくれていると言われましたが・・

野田 親は自分ができない所を教師に頼んでいるんですよ、と言いました。だから、教える人は自分の専門家として経験を積んで、鍛えていかなくてはいけない。全くわからない人が校長になる訳にはいきません。いくら法律で通ったといっても、間違ったものは間違ったものです。副校長とかいう立場で、学校の経理など校長よりも知識のある分野でならわかります。校長です。トップです。しかも、慶徳さんは小さな組織のマネージメントをした経験もありません。ご自分でそういうことはできないとはっきり言っています。そういう人が校長になったことの不幸です。自分の立場に職業に置き換えて、何が起きているかを見てください。自分の職場に社長として、全く経験も知識もない人間がきたら、まじめに仕事をしてきた人ならどう思うでしょうか。

参加者 それは私も困ります。

野田 この尾道で「一校一目標」ということを聞いて、私はゲッとします。ステレオタイプです。紋切り型です。自分の思考がありません。個々の学校はそれぞれが自分の校風を見直して、これがしたいという学校があれば、それでいいんです。このままでいいという学校もあっていいんです。個性というのはそういうものです。一律に「一校一目標」なんてことを言って人間を疎外しているんです。働いている人を物扱いしているんです。こういう標語社会は戦後ずっとです。個別性をもたない。例えばこ の高須小の問題などを子どもたちと話していく。それが個別性ではないでしょうか。この尾道の子どもたちはこの問題を通して、他の子どもたちよりもより深く社会を認識していく。これが教育ではないでしょうか。とにかくモデル事業など結局はまねごとです。教育基本法がつくられた時は、もう一度きちんと個人に立ち返ってやろうということをみんな言っているんです。教育基本法をつくる課程の中で、議事録などをみてもそう言っているんです。一律に上から下に下りる教育でこれほど失敗した。訂正する能力がなかった。今、尾道で行われている教育というのは単なるスローガンです。「自分で考える力を失わせる」メッセージだと思います。 しかし、先生、愚痴は言わないでください。ちゃんと提案して討議していってください。そしてもっともっとちゃんと発言する組合をつくってください。

参加者 今の学校の状況は、それぞれの先生が自分の判断や個性で授業ができない状況にあるんだなと思います。私は、右をむけといわれたらずっと右を向いているような子どもにはなって欲しくありません。「どうして?」と言える子どもになってほしいと思います。そして、私たち保護者は先生たちに、「もっと自由に教育をしてもいいんですよ」というエールを送るべきだと思います。それが、先生たちをサポートすることだと思っています。
 私は教育畑ではありません。だけど学校の先生の精神状態がこんなにも悪いということで5年前から調べ始めました。調べれば調べるほどゾッとする状況にあります。みなさんはきっと不満に思っているかもしれません。しかしそれは表面を見ているだけです。そういう教育をさせられる教育体制があります。そして、これはもう学校の先生だけで変えられるものではありません。処分をいつもちらつかせられ、圧力をかけられています。やはり、市民と先生が一緒になって自分の学校をつくっていく。そして具体的に学校の先生たちが書類作りでどれだけ縛られているかということを先生に聞いて、そういったことこそPTAで聞いて、どうしてこの学校らしさをつくれないのかということを一緒に考えていかないといけないと思います。ぜひ今回の問題を、その一歩にしてください。


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