呉市連続・大量差別紙片事件
1、はじめに
とんでもない事件が生起している。2005年3月29日、市民から呉市人権センターに第一報が入った。 「広島県呉市○○○町の○○君は部落の人」とパソコンで書かれた、縦3p×横5pの紙片が電柱に数ヶ所貼られているというもの。その後、市内各地で断続的に発見され、差別紙片も名刺大のサイズに拡大され、名指しされている姓もフルネームの表示となり、1週間から10日位の間隔で、数十枚、場所によっては百枚単位で路上、駐車場などに散蒔かれ、今では、広島市内や近隣町においても発見されている。
奇妙に思うのは、名指しされている当事者が同和地区出身でもなければ、「○○○町」も同和地区の町名ではないということ。
呉市行政をはじめ、教育委員会、自治会連合会、民間企業、民主団体、法務局、呉警察、ハローワーク等の官公庁など、多くの関係者が取り組んでいるが、今のところ犯人を特定するには至っていない。
一体誰が、何のために、これほど執拗に大量の差別紙片を散蒔いているのか。厳しい差別の現実と日々闘う私達は、筆舌に尽くし難い、断腸の思いと差別に対する怒り、そして、人間の愚かさや悲しさを覚える。
2、差別紙片発見の経緯
3月29日(火)、午前10時15分、元高校教員のKさんから「市内M町の電柱に、ひどいことを書いた紙片が貼ってある」との通報が人権センターに入ってきた。
即、職員が出向き、現場の確認や写真の撮影をし、状況等を関係者に聞いた。更に、周辺を調査すると、6ヶ所にわたって発見された。また時を同じくして、県連からも連絡が入った。匿名で「私は広島市に住む教員です。所用で呉に来ていますが、中通り周辺の電柱に、差別紙片が貼ってあるのを発見しました。回収して県連に送りますので、よろしくお願いします。場所の地図も送ります」と通報があったのだ。
翌30日(水)、人権センターから事件概要の報告を受け、当面の対策を協議した。午後には、呉市長名で「人権侵害に対する対応について」の依頼書をセンター職員が法務局呉支局に提出し、協議した。
今後の展開を考えた場合、一過性のものとは考えられなかった。恐らく、貼る場所にしても、差別紙片の数にしても、そして、書かれる内容にしても、段々と露骨に、しかも過激になるのではないかとの不安がよぎった。
発見されたM町の市民センターをはじめ、自治会との連携や情報交換など、早期発見と早期回収の協力を要請した。
その後も差別紙片は発見され、3月31日(木)には、人権センター職員が、S川界隈(繁華街)を探索すると、信号柱にも貼られてあり、随分離れたN町のバス停付近にもあるとの通報が市民からも寄せられた。「今どき、こんな貼り紙があるとは・・・・。酷すぎる。呉市は、しっかりして下さい」との内容で、心ある市民の差別に対する想いと許せないとの感情の、複雑な想いに心が痛んだ。
実在する町名、そこに住んでいるであろう○○君を電話帳で調べてみると、その人らしき名前が判明した。その人との連携を考えたが、突然では驚くであろう。内容が内容だけに、慎重にならざるを得ない。4月に入っても差別紙片は、市内各地で発見された。H通りのアーケード支柱、H町のNTT電柱、Y町電柱、大手スーパー付近の電柱等々、数枚ずつ貼られてあった。人権センターは、電柱の所有者である中電呉営業所、NTTとも連携し、軽犯罪法による被害届けの検討や呉警察とのビラ貼り行為(軽犯罪)の対応について協議を重ねた。
関係先も差別紙片に対する不当性や怒りのようなものは共有していると思われたが、軽犯罪法の位置づけや過去の事例、人権侵犯の法的解釈、企業の対応マニュアルなども合わせて、被害届けの提出、告発の申請、受理等、クリヤーするための障壁が立ちはだかった。(4月末現在で74枚42ヶ所、型式は、電柱等貼り付けタイプ)
3、当事者との連携
4月上旬には当事者との連携を決意した。本人が全く知らない状況の中で、市内各地に、実町名と名指して「部落の人」だとの差別紙片が貼り付けられている事実は、極めて深刻だ。徐々にではあるが、発見者や周辺の関係者は、どこの誰かを認知しつつある。このまま、逡巡している訳にはいかない。実町名の市民センター長、町内会長と人権センターの連携を先ず考えた。呉市協とすれば、当面、前面に出ることは控えよう、当事者の履歴も、生活環境も全く不詳の中で、組織として動くには若干、無理がある。実町名の関係者と呉市行政としての連携と対応を基本にした。今後、当該町内に貼られる可能性も大で、地元としての位置づけが重要と考えた。
ましてや、差別紙片を表面的に見れば、当事者を名指しで「部落の人」と誹謗中傷している訳だし、市内各地に連続して、大量に貼り付ける行為は、尋常とは思えず、何等かの利害関係があることを前提にせざるを得ない。隠された怨恨なのか、単なる中傷なのか、ストレスの発散手段なのか、様々なことが推測されるが、いずれの場合にしても、個人のプライバシーに関わることでもあるし、犯人の意図するところも全く不明である以上、慎重にならざるを得ない。
1回目の連携は4月中旬にできた。差別紙片を見ていただいて、最近、身辺で何か変わったことはないか、何かあれば連絡していただきたいとの内容で、余り時間をとらずに、顔合わせ程度とした。当事者は「何でこんなことを。人に恨まれるようなことは、全く身に覚えがない。悪戯にしては性質が悪い」などと力なく語った。
2回目は4月下旬となった。丁度、その日の夕方、差別紙片が隣接地域で発見されたため、思いきって、当事者の現認を要請し、確認した。当事者は、大手企業を早期希望退職し、数年自営業を営み、現在は近くの中堅企業へ勤務する人で、地域の世話役として活動も積極的にやっているとのこと。どこから判断しても、好感度の高い第一印象であった。差別紙片の現認によって、「ターゲットは私であろう。不愉快だし、立腹している。しかし、直接的な被害は感じていない。恨まれるようなことも全く思いつかない。警察への被害届けは、もう少し、様子をみたい」とのことであった。お互いの情報交換を密にし、連絡をとり合うことにして別れた。
さて、これからどうする、悩みながらも、一つには、事件の概況をより多くの人に知ってもらい、大勢の目で差別紙片の発見と、犯行現場の通報に努めること、二つには、当事者の精神的不安や動揺等に対する支援体制の構築、三つには、法的措置、(告発、告訴、軽犯罪法、名誉毀損、人権侵犯)等の対抗策。四つには、あらゆる啓発の場を利用して事件の報告と協力依頼・等を打ち出した。
4、差別紙片の変遷
発見された当初は、縦3p×横5pのサイズで、パソコンによる印字仕様。「広島県呉市○○○町の○○君は部落の人」という表示で、電柱に目の高さレベルで貼り付けてあった。 5月中旬から、名刺サイズ縦6・5p×横9pとなり、表示内容も○○君から○○と呼び捨て、そしてフルネームとなった。「部落の人」から「部落民」と表現も露骨さを増し、しかも、カラーで印刷され、可愛いいイラストまで記載するというふざけたもの。全体的な表示も図柄が入れられ、10数種類となった。また、従来は一枚一枚、貼り付けられていたものが、やがて散蒔く方式となり、現在では、投げ捨てるかのように数十枚、時には百数十枚がまとめて、路上、玄関先、駐車場等に蒔かれている。 発見場所についても、呉市中心部であったものが、広島市内でも数ヶ所発見されるようになった。偶然にも、広島市内に住んでいる私達の仲間が、早朝のウォーキング時に発見したとの連絡も入ってきた。 また、広島JR駅前付近においても、報道関係者が発見している。さらには、呉市近隣のある町で数百枚も発見され、実町名、実名が記載されているため、発見者が心配をして、わざわざ電話帳をめくり、当事者に連絡をしている厳しい状況も明らかになった。
差別紙片の発見者も各界・各層に及んでいる。市職員、学校教職員、民間企業者、市民、自治会長、民生委員、人権擁護委員、小中児童・生徒にまで拡がっている。
こうした差別紙片の変遷の中で、前後しながらも私たちは、市行政全職員に庁内LANにて周知、市教委とは、子どもや保護者への教育的対応、多数発見されている地域への啓発ビラの配布、等を行った。そして公務員の告発義務(職員が職務執行にあたり犯罪の事実を知ったときは必ず告発しなければならない)=刑事訴訟法第239条2項、によって告発をした。がしかし、告発は、親告罪(刑法第135条)における告訴と異なり、原則として捜査の端緒となるに過ぎず、告発には犯人の犯罪事実の申告のみでなく、これを犯人の刑事訴追を求める意志が含まれていなければならないのが通説のようだ。従って、この訴追の意志を欠く申告は、形式上告発の要件を備えていても、法律上の告発とは言えず、厳しい状況に立たされている。また、刑法上の名誉毀損罪(第230条)にしても親告罪である以上、本人でなければどうにもならない。どうしても当事者の親告罪における告訴をとりつけたいが、現状では叶っていない。
しかしながら、警察も事件の重大性、悪質性、執拗性等を考慮して、非公式ではあるが、支援協力を申し出た。市内各地のパトロール強化や各交番への周知、犯人逮捕につなげるための極秘捜査など、取り組まれている。
5、事件の背景と犯人像
同和問題の解決をめざす取り組みは、1965年の同和対策審議会の答申によって、国、行政の責務として位置付けられ、国民的課題であるとし、1969年には「同和対策事業特別措置法」が10年の時限立法として制定された。爾来、30有余年が経過し、その間、法的位置付けも変遷を重ね、残念ながら部落差別の厳しい現実を残したまま、2002年、3月末日をもって法の失効を見るに至った。部落差別の中で日々生活をする私たちにとって、極めて息苦しい日常が続いている。少なくともこの間、行政関係者をはじめ、教育関係者、各界の諸団体等々、部落差別の根絶とあらゆる差別の撤廃に取り組んできた経緯はあるし、多くの成果も残すことができている。
しかしながら、法の失効に対する影響は事の外、大きく、言葉は悪いが「まるで手の平を返したように」対応の変化が感じられるし、大切にしてきた人権に対する価値観も、まるで、廃棄物のように投げ捨て、粉々にされようとしているのではとの疑念を強く抱いている。
これらに呼応するかのように、同和教育の取り組みや社会啓発の必要性も後退しはじめ、同和問題は終わったとの誤った風潮や、地域の子ども、保護者との関わりも、各町内で熱心に推進されていた同和問題研修も、人権一般化というファジーな領域で取り組まざるを得ないという制約に、多くの市民が国民的課題としての緊張感や意識を喪失させられたと感じている。
不況の嵐も長期にわたって吹き荒れ、「構造改革」と称する欺瞞だらけの政策も追い討ちをかけ、弱者切り捨て、弱い者いじめの世相に、生きることへの活力も展望も失いつつあるのが今日の過酷な世情をつくり出していると考えられる。
こうした外的条件の中で、生きていくのが精一杯、人様のことどころではない、自分の身がもたないという自己保身の殻の中に、身を縮めて息をしているのが実情ではないか。つまり、人様の人権はおろか、自分自身の人権すら考えられないような閉塞感に包まれ、社会に対する不信、不満、やり場のない憤りも合わせて、人間不信や自己疎外の意識が、日常の中に鬱積していると考えられる。あくまでも推測だが、今回の犯人だって、ひょっとすればそのような精神状態に追い込まれていることも想定される。
犯人像をめぐっては、パソコンが使えるそれなりの技量、電柱に貼ったり、広範囲に散蒔く機動力、数ヶ月にわたって繰り返す執拗性、段々と露骨になっている差別性など、客観的には言えても、その人物像はイメージできない。ただ、部落の完全解放という崇高な理念を基軸に闘っている私達にとって、犯人の人間疎外という究極の状態から、一日、一刻も早く解放してあげたいと強く念じている。犯人の個人的な感情か、怨恨か、その要因や病巣は別にして、この世に「生」を受けて、人間として生きることの素晴らしさを実感できる感性を取り戻せないものかと強く願っている。
犯人が「広島県呉市○○○町の○○○○は部落民」と表現することにおいて、何故「部落民」なのかということも、ある意味では不可解に思う。社会意識として、やはり「部落民」は、人間の意識の中に最下層として、いや、人間外の人間として、また、動物よりも以下の存在として、意識されているのか、人間ではないのか。改めて、部落差別というものの苛酷さ、非道さ、不条理を強く感じてしまう。決して他の差別表現であったら良いということを言っているのではない。基本的人権を保障されず、市民的権利までも奪われている私達にとって、部落民という、社会的、政治的、経済的、教育的、文化的底辺に一方的に位置づけられている存在は、何によって作られ、どのような作用として働き、その結果、どうなっているのか。ただ単に、部落民を差別することが主たる目的ではなく、他の多くの人々に対する搾取と収奪、さらには分裂支配を狙ってのものである以上、不利益、損の分け取り、差別分裂は大多数の国民を狙ってのことであることは、既に科学的に解明されている。
そのような部落差別の社会構造や社会的存在こそ改革しなければならないし、その解決を政治の責任や国民的課題として問うことについては、誰が考えても「普遍性」も「合理性」も「客観性」も、もちあわせている。
6、差別意識の無責任さと罪深さ
関係者の真摯な取り組みや苦悩を知ってか知らずか、様々な流言飛語もどこからとなく、囁くようにそおっと、耳に入ってくる。「運動体の者が意図的にやっているのではないか。同対事業も打ち切られたし、今までのように注目してくれないから差別紙片をテコに、諸制度等の復活を狙っているのではないか・・・・」「行政の職員で、何かで運動体に追及された人が、その恨みを管理職に対しての『はらいせ』として、やっているのではないか・・・・」「第三者の名を利用した同和地区住民同士の内部抗争における代理戦争なのでは」。究極は、「行政の職員と運動体が結託して、同和対策室の復活や部署の存続を画策しているのではないか」など、もう、とんでもない話だ。
私達からすれば、どんなに考察・推測しても、到底及ばない、考えもつかない予断と偏見が差別紙片をめぐって渦巻いている。この事実こそ、部落差別ではないのか。断言したい。どんなに苦しくても、どんなに追い込まれても、たとえ、死の崖縁に立たされようとも、我が身、我が命を売り物に、事の展開を図ることは絶対有り得ない。水平社創立以来の歴史と伝統、そして部落解放運動の中に脈々と流れる人間賛歌の哲学と思想性、人類最高の完成をめざそうとする崇高な理念のもとで、私達は闘ってきた。その誇りさえも傷つけ、人間の尊厳を奪おうとする差別意識に驚愕しつつ、しみじみと、部落差別の罪深さと社会意識の無責任さに胸が張り裂けんばかりだ。
がしかし、私達からすれば、そんなことは全て「想定内」だ。部落差別を必要とする愚かで、哀れな人が邪推する思惑など、歯牙にもかけていない。何故ならば、人間の自己実現を果たそうとする人生観や部落の完全解放を悲願とする様々な実践の価値観からすれば、余りにも微塵で、軽薄で、御粗末すぎるから。
7、おわりに
差別紙片も3月29日以来、日を追うごとに悪質化、広域化し、枚数も増加の一途を辿り、2005年12月初旬、16種類、3200枚を越えている。今後、増々、エスカレートすることは明らかであろう。
当事者も過日、人権センターの説得によって、警察への告訴を決意し出向いたものの、告訴にあたっての身辺捜査の実施に対する不安、周囲の憶測、風聞の怖さにその意を翻した。当事者からすれば、当然だと思う。痛くもない腹を探られ、何等非はないのに、本人の過去と日常の行動や様子を聞き込みされる行為は、耐えられないと思う。部落民だと名指しされ、不当な差別を浴びせられる不条理は、生活と命を破壊する。憶測が憶測を呼び、町内において生活できないくらいまでに及ぶことも充分予測される。部落差別が社会悪であることの認識はできていても、その社会悪と闘うという領域に到達するには、様々な手だてが必要であろう。
差別紙片をめぐっては、多くの人々が心を痛め、時には怒りをあらわにし、人間として許せないとの受け止めのもと、様々な機関が真相究明をめざし、支援と協力を表明してくれている。今後も連携や情報交換を密にし、実行犯にせまりたい。実行犯に告げたい。「辛いだろう。しんどかろう。何があったか知らないが、話すことによって、楽になったらどうか。本来の自分の良さ、素晴らしさを取り戻そうではないか」と。そして、「共に人間らしく生きようや」と。
ご協力をいただいている全ての関係者にもお願いしたい。「部落差別の厳しい現実と現存を再認識して、その解決の責務と課題を共有し、共に闘おうではないか」と。全ての人々が「人間」として生きられる良き日をめざして・・・・。