一.国内外の情勢
1.2001年9月11日に発生したアメリカに対する同時多発テロに対し、アメリカ・ブッシュ大統領は10月8日「新たな戦争である」と表明し、アフガニスタンに対し、「報復戦争」を開始しました。日夜に亘る空爆によって、アフガニスタン市民が巻き添えとなり、多くの死者や難民が出る結果となっています。国外に脱出した難民は約400万人、国内で居住区を追われた難民が約100万人と言われています。12月初旬に、アメリカ軍及び「反タリバン勢力」によって、アフガニスタン全土はほぼ「制圧」され暫定政権が発足していますが、この難民救援が急務となっています。
それとともに、自衛隊を海外に派兵し、後方支援という形で空爆に加担した日本政府に、空爆の犠牲者に対する責任をどう償わせるのかを追及していかなければなりません。
また、ブッシュ大統領は一連のテロに対する報復戦争を、「正当な戦争である」と主張し、一定のアメリカの世論を背景に「テロ集団の一掃」を理由に、さらにソマリアやイエメン等への武力行使を示唆しています。これに対しては各国から同調する表明はなされていませんが、さらなるアメリカの横暴に対して、暴力の報復は次なる暴力を呼び込むものですから、日本政府等にアメリカに追随することのないよう働きかけを強めなくてはなりません。
2.さらにアメリカは、核軍縮についても12月に「弾道弾迎撃ミサイル(ABM条約)」からの脱退を表明し、さらに、アメリカ・ワシントンポストの報道によると、議会に提出する核兵器戦略に関する報告書「核体制の見直し」の中で、「2年以内にネバダ州の地下核実験施設での再開を可能にしておくことが必要だ」と指摘したことが明らかにされました。世界は核軍縮へ向け、確実に動き出しているにも関わらず、アメリカが正式に地下核実験の再開の意思を表明すれば、包括的核実験禁止条約(CTBT)の崩壊となり、再び核軍拡競争が起きることは必至です。こうした武力(核)によって世界制覇を目論むアメリカに、無批判に追随する日本政府に対し、とりわけ核被爆の悲惨さを知り、核廃絶を願うヒロシマから声を上げて行かなければならないところです。
3.こうしたアメリカに追随する日本政府は、報復戦争を支援することを理由に、「テロ対策特措法」「改正自衛隊法」「改正海上保安庁法」を強行成立させ、さらに、具体的支援として11月16日に安全保障会議と臨時閣議を開き、「テロ対策特措法」に基づき、@米軍への協力支援活動、A捜索救援活動、B被災民救援活動、を柱とする自衛隊派遣の基本計画を決定しました。具体的には海上自衛隊補給艦2隻、護衛艦3隻、航空自衛隊の輸送機6機、多用途支援機2機、掃海母艦1隻を派遣し、派遣部隊は計1500人規模にすることを決定しました。
この決定を受け、11月25日に戦時下での海外派遣は自衛隊発足以来初めとなる、海上自衛隊3隻がインド洋へ向けて出航しました。とりわけ3隻のうち1隻(護衛艦とわだ)が呉基地からの出航となり、11月18日には「『アフガン民衆を殺すな』自衛隊の参戦を許さない呉集会」(憲法の改悪を許さない広島県民会議)、11月25日には「『日本の戦争を許さない』11,25集会」(中国ブロック・平和フォーラム)と、自衛隊の海外派兵に反対する抗議集会が開催されています。
4.日本政府は、さらに今次のテロ支援をテコに、日本への武力攻撃の事態に対応する有事法制について@現行の災害対策基本法をモデルに「緊急事態基本法」の制定A自衛隊が戦闘を行なう場合の道路法、港湾法などの適用除外措置は一括して自衛隊法で処理する・・・とする基本方針を固め、1月中旬に決定し、3月に国会提出をめざすとしています。この有事法制については、大幅な国民の権利制限を伴うため、これまで法制定の方向は示されながらも、国民世論によって具体の法制化の提案は行なわれてきませんでした。しかし、前記のように小泉首相は今次のテロ報復支援をテコに、一気に法整備を進めようとしています。これはテロ対策特措法と同様に、戦争放棄と戦力及び交戦権を認めない憲法第9条を否定するものであり、日本国憲法を否定するものです。武力行使を既成事実化し、改憲へ結び付けようとするものです。
また、11月26日には、遠山文部科学大臣は中央教育審議会に対し、「新しい時代にふさわしい『教育基本法』のあり方」を審議するよう諮問しています。有事法制とあわせ、戦前回帰への策動をねらったもので、何としても幅広い共闘を組織化して、阻止する取り組みを強化しなければなりません。
5.世界経済は、世界的なITバブルの崩壊やテロ事件などにより、同時不況の様相を呈しています。同様に日本経済も、個人消費が長期的な低迷を続ける中で、デフレ傾向が一段と深まる見通しの中で、将来を展望できる状況ではなく、個人の消費も伸びず、深刻な状況となっています。
2002年1月29日に総務省が発表した完全失業率は、5,6%(337万人)となり、1953年の調査開始以来、最悪の数値となっています。7月に初めて5%台となり、5ヶ月という短期間に一気に0、6ポイント上昇し、5,6%になっています。また、同日の厚生労働省から発表された有効求人倍率も、前月を0,4ポイント下回り、0,51倍となり、6ヶ月連続の低下となっています。この状況は今後も好転する材料は見当たらず、「2002年内に、完全失業率が6%台に突入するのは時間の問題」と言われています。
6.こうした失業者の増大は、そのまま高校生の就職状況を痛打しています。全国の新規高校生の就職状況は、厚生労働省(労働局)の発表によると、11月末現在で前年同期を5,5ポイント下回る63,4%となっています。県内においては労働局の調査(ハローワークを通しての就職)で62,0%となっています。(県教委の調査では58,0%で昨年同期より6,6%減)自己の将来に展望が見出せない現状に対して、若者は極めて刹那的になっています。このような若者の将来への不安・不満が社会的弱者への暴力行為等を惹起していることを、社会、とりわけ大人が重大な警告と受け止めなければなりません。
7.しかし、国のあり方を左右する政治が、本来の姿を喪失し、「規制緩和」によって、現状が打破できるかのような幻想を持たされていますが、その本質は優者・優先の施策であることを見抜かなければなりません。その典型が小泉首相の「構造改革」です。小泉首相が打ち出した「痛みを伴う聖域なき構造改革」が、前述のように企業を倒産へと導き、労働者の失業・生活悪化を引き起こしていますが、「改革によりある程度の『痛み』が生じるのはやむを得ない」という政府の見解は、あまりにも国民の生活実態を無視した暴言と言わざるを得ません。
二.県内情勢
1.昨年度末に県教委は授業料未納の生徒を、出席停止にするという極めて脱教育的な施策を決定し、豊教連等で抗議とその撤回を求めてきました。しかし、その後、具体に8名の生徒が出席停止となり、中途退学に追い込まれる生徒が出ています。
様々な理由によって、とりわけ前記のように失業者の増大という社会状況の中で、授業料も払えない生徒が多く出る可能性がある中で、出席停止という形で生徒に対して「制裁」を加えるという、脱教育的な施策については、今後も引き続きその撤回を求め、取り組みを強化しなければならないところです。
2.広島県においては、解放教育を基底とする高校入学希望者全入の視点で、@高校入学希望者は全て受け入れようA地域の子どもは地域の学校へBニーズに応じた多様な教育内容を保障する高校づくりという、いわゆる「広島新高校三原則」の理念をかかげ、その実現にとりくんできました。(高校入学希望者全入の実現は、同時に障害者の高校進学が保障されることです)
ところが、1998年に着任した辰野前教育長は、これまでの教育行政の理念を全否定し、命令と処分の繰り返しによる上意下達の強権的差別行政により、生徒や教職員の学習意欲や教育への情熱を奪い、取り返しのつかない程の「教育荒廃」を招来させました。また、現在2001年度の入試結果について集約中ですが、毎年めまぐるしく改変される入試制度とその複雑さ・不透明さに対して、生徒・保護者の不安・不信感が増幅され、教育行政そのものへの不信感ともなっています。その問題点については次の通りです。
(1)定員内不合格について
1994年から1998年度まで、私たちの積年の取り組みによって5年間定員内不合格ゼロを実現してきました。しかし、辰野前教育長の度重なる適格者主義に立った発言によって、定員内不合格者は2001年度入試では271名にも拡大しました。これは辰野前教育長の脱教育的施策に起因するものですが、私たちの側も全入の思想の空洞化を厳しく問いたださなくてはいけません。その内訳は、次の通りです。
@選抜T、U、Vで定員内不合格を出した学校・・・・・・・・・・1校
A選抜U、Vで定員内不合格を出した学校・・・・・・・・・・・18校
B学力向上対策重点校で定員内不合格を出した学校・・・・・・・・3校
定員内不合格を出した学校は33校で、そのうちの半数以上の18校が、定員内不合格を2回に亘って出したことになります。
その背景については分析中ですが、次のような問題点があります。
@今年度は新たに学力向上対策重点校3校において12名の定員内不合格が出されました。しかし、この事業の本来の目的は「高校生に希望する進路を実現できるしっかりとした学力と意欲を育てるため」であり、「学力の低い」生徒にこそとりくまれるべき内容のものです。
A選抜Vにおける定員内不合格者数が96名にも上っていることは、中学卒業後の進路未決定につながる深刻な問題で、選抜V導入時の「進路未決定者を無くす」という導入趣旨にも反します。次のように辰野教育長になってから急速に増加してきました。
中学校卒業後の進路状況(県教委)「その他」の数
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1996年 |
1997年 |
1998年 |
1999年 |
2000年 |
2001年 |
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154人 |
177人 |
199人 |
286人 |
286人 |
296人 |
B障害者の定員内不合格数の増加
障害者の定員内不合格数は、現在までに分かっているだけで9名あります。これまでの取り組みによって、地域や教育から疎外され続けてきた障害者にとって、高校進学の壁は障害者の気持ちの中でもとてつもなく大きな壁となっていることが明らかになっています。多くの障害者にとって、中学校卒業後の選択肢の中に「全日制高校への進学」は存在しません。高校進学は障害者にとって非常に遠い位置にあります。自ら悩み、自ら学校を確かめ、周囲に励まされ、そして踏み出した障害者の思いに応えられない教育行政・現場教職員は、障害者にとってどれほど厳しいものとなっているでしょうか。
県教委は学校間格差の是正に向けての行政施策を放棄したため、特定校に課題を多く抱えた生徒が集中するといった実態となり、そのことがさらに学校間格差を拡大させるといった悪循環が、定員内不合格の大きな要因と考えてきました。希望者全員入学のための地域の学校づくりにむけた、中高連携や学区ビジョンを含めた取り組みが重要です。
(2)募停・統廃合について
このような弱者切り捨ての教育施策として、1999年度10学区定時制4校の募停・統廃合、2000年度分校・定時制3校の募停、さらに今年度は大竹高校定時制の募停を、県教委は強行してきました。こうした教育行政の一方的な募停に対して、署名・街宣活動等に取り組んできました。
経済効率を理由として募停を行ないながら、前記学力向上対策重点校には、定数・予算で格段の配慮をしていることは、そこに広島県の差別教育行政の本質が露呈しているといえます。
3.「新しい時代」「社会の変化」に対応するための「教育改革」と称して、国立大学の独立法人化・統廃合から民営化による保育所改革まで、あらゆる分野で「改革」が進行しています。その主要なねらいは、国際競争に勝ち抜くための人材育成をめざす、「公教育の規制緩和」という名の競争激化によるエリートづくりであり、その一方で、教育の合理化による教育予算の削減です。
「高校教育改革」も、普通科高校再編、専門学科高校再編、総合学科・単位制高校新設、中高一貫教育校開設、定時制高校統廃合など、全国的に様々な形で進められています。いずれも学区の拡大等によるエリート校づくりと定時制、専門学科、小規模校の統廃合がセットになっています。
2000年7月に設置された「広島県高校教育改革推進協議会」は、2001年5月25日に「中間まとめ」を公表し、10月26日に「県立高等学校における教育改革の推進について(答申)」を教育長に提出しました。一部の「推進協議会」委員からも強い異議が出されたにもかかわらず、
(1)学区の拡大
(2)「選択した結果について、生徒・保護者は責任を負わなければならない」とする、教育行政の責任を生徒・保護者に「自己責任」としての押し付け
に執拗にこだわるものとなっています。これによって、県教委の「教育改革」が、優者優先の思想に立つ、差別・選別を強化するものであり、「県立高等学校における教育改革の推進について(答申)」によって、その正当化をはかるものであることを見抜かなければなりません。
4.2001年12月26日、文科省は教育基本法の改悪を中央教育審議会に諮問し、2002年11月を目途に答申を出すという性急な日程を発表しています。教育基本法(前文)にうたわれた世界平和や個人の尊厳をないがしろにして、教育の国家統制を貫徹することが狙いと思われます。さらにこのことは、教育基本法改悪に止まらず、日本が「戦争のできる国」であることを憲法に有文化させる政治日程のスタートを明らかにしたということでもあります。
学校における「日の丸・君が代」の実施について、政府・文科省は従前より並々ならぬ熱意を示してきましたが、その狙いがますます浮き彫りになっています。
広島県では、1998年「文部省是正指導」が開始され、校長協会(岸元会長)による、いわゆる「日の丸三脚設置」の一方的な協定破棄(12月21日)があり、2001年10月22日には、1988年当時の県教育長が高教組委員長に対して行った文書確認を、県教委が一方的に破棄して卒業証書の年表記を「元号」のみに限定して強制しています。こうした、国際化の潮流をも無視する頑迷な国家主義教育の押し付けに対して、マスコミさえも異議を唱えるに至っています。(別紙資料 中国新聞社説)
6.県教委は、2001年10月22日の県立学校長会において「卒業証書の年表記について、様式通りにされることを強く望む」として、従来の「元号・西暦」併記の方針を転換しています。これは、1988年1月19日の文教委員会で、当時の吉岡典威教育長が「(卒業証書の)余事記載も認めること」を表明し、当時の岸槌和夫広高教組委員長に提出した以下の「確認書」を一方的に破棄する暴挙に他なりません。
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従来、卒業証書の年号の記載については、指導・助言の範囲で対応してきた。しかし、一昨年、西暦記載が拡大する動きがあったので、規則などを整備することによって、整理しようとしたが、結果的に一層の混乱を惹起することとなったので、この点を考慮し、余事の記載も認めることとした。 今後、教育上の諸課題については、以上の経緯をふまえ、慎重に対応したい。 昭和63年1月25日 吉岡典威印 岸槌和夫 様 |
1979年に成立した「元号」法は、国会の附帯決議で「国民に強制することはしない」との歯止めがかけられています。しかし、県教委は1987年1月9日に特定政党の圧力を受け、この附帯決議を侵して「県立学校施行細則」を改悪し、卒業証書を含むすべての公文書を「昭和」で統一することとしました。
この特定政党の圧力に屈して、教育行政の責務と主体性を放棄した県教委にあきれ果てた学校現場は、1987年の卒業式には「西暦」による卒業証書を発行する学校数が、施行細則改悪以前に比べて激増(’86年 7校→’87年 54校→’88年 63校/103校を超えるという県教委の予想)しています。
そして、これらの現実の中で県教育委員会は、1988年、改悪後わずか1年で「余事(西暦)記載」も認めざるをえなくなったのです。この時点で広高教組は、校長協会による「西暦・元号併記」の「整理」の提案を暫定的に受け入れてきました。
その内容は、次の2点です。
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1.年号の表記は、西暦と元号の併記を原則とする。 2.児童・生徒の希望があれば、吟味の上、その希望内容に沿って差し替えをする。 |
しかし、2000年度卒業式において、またもこの「整理」を意図的に無視した4校の校長が「元号」のみの卒業証書を発行し、卒業証書年表記「元号」強制の先兵の役割を果たし、今回の「整理」の一方的な破棄の足がかりを作りました。
この校長協会の提案を破った校長に対する、広高教組の抗議行動をもって、「校長権限の自立を侵害した」として、県教委は当時の吉岡教育長の確認を一方的に破棄したのです。
7.しかしどんなに弾圧を受けても、人類は自由を希求し、平等な社会の実現を求めてきました。その人類の基本的人権確立の闘いによって、1948年に世界人権宣言が、国連第3回総会で採択されたのです。そして、それよりも2年前の1946年11月3日に日本国憲法が公布されています。そしてその前文は、次のように宣言しています。
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日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 |
このことの実現こそが、21世紀を「平和と自由な世紀」とすることができると確信しています。日本国憲法を改悪させてはなりません。そのために私たち一人ひとりが、過去のたたかいに学び、したたかにたたかい続けなければなりません。絶望は弾圧する側を利するばかりです。焦燥は、弾圧する側のワナに陥る危険性を呼び込みます。真実と正義を求めて、今後ともたたかい続けます。私たちにこそ、平和の歴史を刻む使命があるからです。