2006年 8月 23日
県教委と文科省のいびつな教育行政によって、広島県においては、校長や地教委の幹部が連続して3人も自殺した。
「日の丸」「君が代」の強制があまりにも強圧であったこと、拙速に民間人校長を登用したことなどが原因であった。
県教委は、これを世羅高・石川校長(当時)の場合は、広高教組と解放同盟県連の反対運動のありように、責任を転嫁して、自己の責任をごまかそうとした。
高須小・慶徳校長(当時)の場合はもっぱら広教組にその責任をなすぐりつける作戦に出た。
しかし、ついに、尾道市教委の山岡次長の自殺となって、これらの団体にインネンをつけて、ごまかそうとすることができなくなった。
なぜなら、広高教組、広教組、解放同盟県連などと、交渉とか接触の少ない尾道市教委・山岡次長の自殺が最後の現実となって現れてきたからである。
3つの自殺事件の共通項は、強権的な県教育行政と理不尽な「日の丸」「君が代」の強制であった。
ものごとの本質を分析する場合、いくつかの事件の中に潜む共通項を抽出することが大事である。なぜなら、共通項こそ、必然的原因として認識できるからである。
県教委は多くのミスを犯した。俗に言われる「頭かくして尻かくさず」のような下手な演技を県民の前にさらけ出した。
それは、最初に自殺した世羅高・石川校長の公務災害について県教委は、5年間もの時間的経過の後に「認定が妥当」と地方公務員災害補償基金広島県本部(支部長・藤田雄山知事)に「意見書」をやっと提出するという怠慢のことである。
これをさらに2年半も遅らせて、災害補償基金県本部が認定するという状況は異常という他はない。
「日の丸」「君が代」の人権無視、教育破壊の画策による最初の惨事の処理に、彼らが血迷ったことを如実に示したものと見ることができよう。
当時のマスコミは、一様に権力側の宣伝に乗せられたような報道を行った。
『産經』などは、乗せられたというよりは、県教委などを煽る報道に狂奔した。
彼らは、高須小と尾道市教委の事件については、公務災害の認定を2年半程でおこなっている。はじめの世羅高・石川校長の事件が、いかに大きな権力の画策によるものであったか、あらためて確認しなければならない。
8月11日号の『週刊金曜日』に、石川校長自殺のことが分析されている。県教委側がデッチ上げた高教組世羅分会との交渉時間のトリックがいかんなく暴露されている。そして、「君が代」を生徒に歌わせたくないとする石川校長の良心もこの記事は全国に知らせている。
亀井郁夫(参議院議員)の「線香の一本もあげていない」という教職員攻撃も、全くの嘘言であることを『週刊金曜日』は明らかにしている。
それにしても、石川校長の通夜のとき、辰野県教育長(当時)と東風上・尾三地区高校長会会長が固く握手をした姿の中に、石川校長の死を悼むより「君が代」強制が大事だとした姿が象徴的に現れていたことを忘れてはならない。