主張 部落解放運動のために()





 今回も同じ文章からはじめよう。この度の「主張」(シリーズ)は、やはりこの文章の問いかけに応えるためのものであるからだ。

 「広島県連の仲間からも、他府県連の活動家からも、いまの解放運動の閉塞状況を乗り越える道はないか、と問われる」

 ある憲法学者が言った。「部落解放同盟中央本部の現在の綱領には、差別者(敵)が明確でない」

 そう言えば、この綱領は小選挙区比例代表並立制に賛成し、総保守化が、階級支配の強化をもたらし、権力支配の補強策として、部落差別を温存し、助長しようとする時期に改訂された。

 1960年代後半から、部落解放運動が高揚し、70年代にその成果を全国に波及させ、80年代のはじめ頃に、その運動にマッチした綱領を作成した。

 階級一元化を廃し、身分解放闘争の独自的性格を明示した上で、身分差別の階級的カラクリをもえぐり出したものであった。

 あらためて、総保守化体制以後の自公政権の国民収奪の政策と部落差別の温存と拡大方向の社会的風潮の現実を思わざるをえない。

 今回の「主張」で言いたいことは、「差別は単なる観念の亡霊ではない」(「同対審」答申)という概念的な言葉を、あらためて社会科学的に分析し、現実の事実を直視しなければならないということである。

 「ニ十一世紀は人権の世紀である」などと、あの「小選挙区・総保守化」の政治が体制を整えたとき、政権や支配階級に媚を売る言辞を吐いたものがいた。それにだまされた部落解放運動の活動家が多かった。

 ついに憲法第9条をねらった改憲の日程が具体的に身辺に迫ってくるところまでやってきた。

「部落差別は格差の問題ではない」とまで言い出すようになってきた。こうなってくると、部落解放運動は「観念の亡霊」とのみ闘う運動なのかということになる。「暖簾に腕押し」のような運動に甘んじなければならなくなり、支配階級は大いに喜ぶであろう。

「日の丸」「君が代」の強制にふみ切った頃、国会で、「同じ部落解放同盟と言っても、広島県連だけは、しっかり峻別しておかねばならない」と反動派が言ったのは、本当の敵と闘う広島県連を彼らは恐がっていたからである。

差別は生活の事実の中にあるものである。「経済の二重構造」が生活の実態の中において差別を作り出していると一回目の「地対財特法」延長当時、国会内外で政府を責めたて、ついに延長を実現した。「格差」が拡大すれば、差別の実態とそれにともなう思想・観念が相応に拡大するものである。

国民の貧困度(生活の状況)を示す係数に「ジニ係数」というのがある。

フランスやスウェーデンにくらべて、その係数は、貧困(格差)の方向にむかって、1.5倍になっている。

1990年代の初頭から、それがひどくなってきたものである。小選挙区制と総保守化を弁護するために、「差別は格差の問題ではない」(これは必然的に差別を観念の亡霊とする)と運動の一部が言い出した頃と符合する。

国民の所得は、大企業が史上空前の利益を上げているにも拘らず、この10数年間下がり続けている。「格差」と部落差別の相関関係に目を向けなければならない

  

  『解放新聞広島県版』 2007年6月13日 第1874号