主張 部落解放運動のために(4)


 今回も同じ文章からはじめる。

 「広島県連の仲間からも、他府県連の活動家からも、いまの解放運動の閉塞状況を乗り越える道はないか、と問われる」

 人間は、他の動物と違って、ものごとの製造にあたって、あらかじめ設計図なるものを作ってから、作業に取り組むことを常態とする。

 部落解放理論「三つの命題」は、それに対応するもので、1970年代にあれほどの組織拡大と行政的成果を得たのは、そのためである。

 これに反して、今日の閉塞状態は、情勢分析と運動の方法論に過ちをおかしたからである。誰が差別者であり、その元凶は誰かということを知らないままに、発言し行動しているからである。細川内閣、村山内閣のとき、小選挙区制がおこなわれ、総保守化の体制に持ち込まれたことに対する情勢分析を過った。

 東京へ行こうとして、博多行きの「のぞみ号」に乗ったようなもので、全く逆の方向に動いてしまったということである。それでも、一部の幹部や国会議員、地方議員の立場を得ているものは、それなりに、この混沌たる時代を、一応の名士として世渡りすることができる。

 しかし、それでは部落完全解放どころか、ますます経済格差の荒波にさらされ、部落大衆は塗炭の苦しみを味わわねばならないことになる。

 今回、社会保険庁の5000万件と1400万件の年金記録のずさんな事務処理の表面化についても、もし政治に緊張関係が存在していれば、あそこまでのことにはなっていなかったであろう。  

 就職の機会均等の権利を奪われている部落民大衆は、職を転々とせざるをえなかった。その度に、年金の手続きがうまくおこなわれていなかったと想像される。被害者はその率において、被差別部落が一番多いのではないかと考えられる。

 そんなとき同和対策には耳を貸さない状況が権力側に蔓延している。

 そればかりか、社会意識としての差別観念を利用して、「同和対策」に敵意さえのぞかせるといった状況である。「部落に生起する一切の不利益は、部落差別に起因する」という朝田善之助(二代目委員長)の格言をあらためて思い出す。

 とにかく、われわれは、東京へ行こうとして、博多行きの列車に乗るようなことをしてはならない。

支配階級は、その権力を継続するために、常に新たなる理屈を考え、大衆をごまかすことに専念する。たとえ、大衆の利益になるような口実をつけている政策であっても、底意の中にちゃんと彼らの利益は隠されている。

 スペースの関係で結論を急ぎたい。支配階級は、学問的装いを凝らし、理論を総合的に組み立てて、われわれをごまかす論理をぶつけてくる。

 これに対して、われわれの方は、対症療法的な論理のみで、これに対抗しているのが現実である。今日の混沌状況は、その対症療法さえおこなわれず、常に権力側にふりまわされているところにある。

 理論をしっかり身につけて、情勢分析を誤ってはならない。そのためには、全学問的分野にわたり解放理論を肉厚なものに創造していくことが大事である。解放理論の「学際的」肉付けが重要な課題となっているのである。


  『解放新聞広島県版』 2007年6月20日 第1875号