主張 部落解放運動の原点
同和対策事業特別措置法が制定され、変遷を重ねながら33年間様ざまな措置が講じられた。
この間、住環境の整備をはじめ解放奨学金制度や福祉関連の諸政策によって、市民的権利の保障に少しずつではあるが近づいた。しかしながら、差別事件は結婚問題をはじめ、地域、職場において日常不断に生起している。
新たな部落地名総鑑がフロッピーディスクに再編され、インターネット等によって大量に発信されている現実もある。
さらには、呉市では2年数ヶ月にわって個人を「○○は部落民だ」と誹謗中傷する差別紙片が5万8千枚も近隣にばらまかれる事件が起きている。
これまで部落問題の早期解決をめざし、行政関係者をはじめ、労働組合、民主団体等、多くの支援協力があったが、法の失効によって急激に後退しているのが実情だ。
われわれの仲間うちにおいても、諸制度の全廃、補助金の廃止や大幅削減、啓発活動の減少、関係諸団体との連携の希薄化などによって、閉塞感を抱いている同盟員が多くなっているのが現実だ。
これまで運動の中で主体的力量の構築や、社会的立場の自覚的認識の確立をめざして意欲的に学習と実践を積み重ねてきた。しかしながら、その意欲は外的な諸条件によって残念ながら萎縮しつつあることは否定できない。
バブル経済の崩壊以降、政治、経済の不合理と矛盾が拡大し、経済至上主義や官から民への行政改革等によって、国の形も大きく変わり、弱肉強食ですべて自己責任が問われるという世相となった。
そのことは、高齢者、子ども、障がい者等、社会的弱者の生存権や幸福追求権などを奪う結果を招き、就労、生活、教育等の社会的格差を露骨に拡大させ大きな社会問題になっている。
われわれの運動は、単なる社会的弱者としての救済を求めるという次元のものではない。
この世に生をうけたひとりの人間として、人間らしく生きることの権利や条件、外見上何等変わらぬ人間を、部落民だと差別することによって、多くの国民が不利益を被るという部落差別の社会的存在意義をどれだけ認識し、共有することができるのかと世に問うているのである。
運動に対する責務や使命、差別に対する怒りを再燃させるには、先人の闘いの歴史に学ぶほかはないし、その生き様に近づこうとする真摯な姿勢こそが、閉塞感や自己保身を払拭する唯一の方策ではないかと痛感する。
その原点をあらためて今、確認すべきではないか。
そして、幹部活動家のひとりとして、何を成すべきかを内省し、その実践の先頭に立ち、より高度な精神的領域に同盟員を押し上げていくことが責務であると自覚したい。
定期大会も間近となった。組織問題、財政問題等の課題を着実に克服し、如何なる環境下にあっても、部落の完全解放を達成しうる組織として、展望を切り拓かなければならない。
われわれの運動は、今を生きるわれわれの世代だけの問題ではない。われわれに続く子や孫、そしてまた、その子、その孫の生命に係る問題である。
故に、今こそ真の部落民としての魂を大きく燃え上がらせようではないか。
(M・T)
『解放新聞広島県版』 2007年6月27日 第1876号