主張 やはり人間と核は共存できない
7月16日、不幸にも3年前の中越地震とほぼ同じ新潟県中越、下越地方を大地震が襲った。被災地には、柏崎刈羽原子力発電所がある。被災者は自然災害の脅威と同時に、放射能被害の不安にさらされた。
今回の地震で、人類にとって最も危惧すべき状況が明らかとなった。柏崎刈羽原子力発電所は震源地から、15キロ程度しか離れていないところにある。
全部で7基の原子炉を持つ、わが国最大級の原発である。
この度の地震で、7基ある原子炉すべてで何らかのトラブルが起きている。
その主なものは、@建屋と主排気筒をつなぐ排気ダクトがはずれ、発電所内に保管されていた低レベル放射性廃棄物のドラム缶が崩れたこと A7号機の主排気筒ではヨウ素などの放射性物質が検出されるなど、問題の発生した箇所は50箇所以上にも及んだことである。極めて重大な事態と言わなければならない。
また、この地震で明らかとなったことで、驚くべきことは、常設消防隊が設置されていなかったことである。
一歩間違えば、原発の風下に位置する地域は、死の街となっていたのである。
今回の事故で東京電力は、当初は安全だと言いながら、重大かつ深刻な問題を時間がたって発表している。どこまで市民を愚弄するのであろうか。まさに嘘に嘘を重ねた体質が現れていると言えよう。人間は自分の力を過信し、大自然の力をあなどってはならない。
報道によると、このたびの地震は、原発建設の際の設計段階で想定されたものより2.5倍もの震度だったということである。
わが国の原子力政策は、安全神話を振りかざして進められてきた。
しかし、死傷者11名を出した美浜原発事故、高速増殖炉「もんじゅ」火災事故、東海村での事故等々、安全神話はもろくも崩れ去っている。今後、大地震など自然災害による大惨事に襲われる可能性は高い。
原発事故は、起きてからでは遅いのである。起きる前に、エネルギー政策を転換しなければならない。そのことが、国民を放射能汚染から護る唯一の方法である。脱原発社会をつくることこそが私たちが選択しなければならない道である。
8月6日は被爆62周年の日である。62年前、広島に投下された原子爆弾は、多くの人びとの生命を奪い去った。原子爆弾は、通常兵器と異なり、強烈な爆風に加え、大量の熱線、そして放射線により人命を奪う兵器である。
放射線を浴びた人は、たとえその時命は助かっても、後に放射能障害によって苦しみ続けるのである。
体内に吸い込んだ放射性物質が、半永久的に放射線を放出し続けることによって、放射能障害が継続するのである。
また、被爆者の子や孫は、放射能の影響に怯えながら生活せざるを得ないのである。さらに、広島・長崎に対する予断と偏見は決してなまやさしいものではない。二世・三世はこれらとも闘いながらの生活を余儀なくされている。
今あらためてわれわれは「人類と核は共存できない」ことをしっかりと肝に銘じ、再び被爆者を生み出さないための社会を創造しなければならない。
(T・M)
『解放新聞広島県版』 2007年8月1日 第1881号