主張 さまざまな条件に対処して
地球の物理現象というか、自然の大きなうねりに、温暖化の現象もあれば寒冷化の現象もある。いまから50年、60年前のことを考えてみると、確かに冬はいまより寒かった。「防火水槽」に5センチ、7センチの厚い氷が張ることをしばしば経験した。
気象庁の統計でも明らかだが、夏の暑い気温も、35度を超すことは、この頃ほど頻繁ではなかった。どうもこの寒暖の現象には地球温暖化に向かいつつも周期があるように思える。
ただ、問題として考えておかねばならないことは、この周期にプラスして地球上に棲息するわれわれ人類、それも先進国と言われる国国の人びとによる生産と消費のあり方が、この暑さに拍車をかけているのではないかということである。
ものごとには成り行きというものがある。その周期とか成り行きとかいうものに対して、その時期の人間がどう対処するかということが大事である。
徳川封建幕府以来、被差別部落民は差別と貧困にあえぐ状況の中に置かれた。1922年の水平社結成以来、紆余曲折をたどりながらも、部落解放のために、われわれは自覚的な闘いを展開してきた。
この闘いのピークは、「部落解放基本法」制定ということになった。われわれの主張するところが、「市民的権利」の問題であるだけに、支配階級も、少しずつ譲歩してきた。しかし、譲歩し過ぎると、支配階級の体制維持が危くなることから、彼らは、われわれを危険視するようになった。
かねてから、セクト主義の故に、大胆に差別観念をふりまきつつ、われわれを攻撃していた日本共産党の存在は彼らには好都合であった。
自民党は日本共産党の尻馬に乗ってわれわれに攻撃をかけるようになった。
「日の丸」「君が代」の法制化が、その典型である。日本の古いイデオロギーの中で、特に「君が代」に対する感情は、一定程度根強いものがあった。
「君が代」は差別の権化とも言うべき天皇制イデオロギーの大事なよりどころとして、われわれの前に立ちはだかってきた。
闘いは難しかった。学校の教職員の中には、自らを犠牲にしながら闘った者もいた。
人間というものは高度な精神活動をともなうものであり、そこをねらって支配の体制を再構築するというのは、権力をもつ者の悪知恵と言うべきであろう。
部落解放運動は、この「君が代」の法制化とイデオロギー的普及とともに退潮の方向に動かざるをえなかった。
何よりも部落出身の野中広務という自民党政治家が、その「旗振り」をやったということである。分裂支配の尖兵を、「捕らえてみれば、わが子」といった状況であった。
この「主張欄」で言いたいことは、運動は、さまざまな条件が重なりあって高揚期もあれば下降期もあり、問題は、この周期のようなものを、その時、その時代の運動関係者が、どう乗り切るかということである。
「人間主体の確立」を言い続けてきたのは、そのことを気にかけていたからである。
いまの状況を克服して、前に進むことができれば、おそらく、何百年の歴史をもつ部落差別も、それ自体としては解放の方向に向かうのではないか。
『解放新聞広島県版』 2007年8月29日 第1885号