主張 あずり分別の教育活動


 

 教育が実効あるものとなるためには、その社会を構成するものの多くが、教育のありよう、進め方について、心の底から信頼していることが前提とならなければならない。

 いまのように、教育を党利党略のために使おうという反動政権の意図が見え隠れしているような状況では、教育は後退する。

 反動政権は、教育基本法に愛国心を強調しようと画策した。自民党より多少は恥を感ずる公明党が、国と郷土を愛するとか、誇りをもつとかの表現に薄めたような格好で、連立政権に居座りつづける作戦に出た。そうしてこの党は、教育基本法の党略的改訂に賛成した。

 しかし、強行採決に次ぐ強行採決でおおよそ教育というものを国民的基盤に立脚させなければならないことを棚上げにしてしまった。

 どのようにして人間の頭脳を鍛え、身体を強健にし、心の安定に磨きをかけようとすることについては、一時代の政権が、勝手にその価値観を押し付けるべきものではない。

 もっともっと、国民的基盤を広げ、普遍的価値に立脚すべきものである。

 文部科学省は、「ゆとりの教育」から「学力の教育」へと、朝礼暮改をやってのけた。

なにもかも一新しなければという雰囲気に「日の丸」「君が代」も利用した。それには「愛国心」の先取りという意図もあった。

 この際、公明党に言っておこう。

日蓮聖人が、何故、ときの権力から弾圧されたのか、なぜ遠流の罪に着せられたか。言うまでもない。日蓮聖人は権力の示す価値観を、法華経の教える価値観の前に相対化したからである。

 つまり、権力の打ち出す価値観には普遍性が認められないとしたからである。

 法華経の教えは、一般的に言われる仏教の教えである。人間の考えねばならない多くの普遍性を説いている。

 勿論、時代の制約を受けて、今日の科学的常識から、これを是正し、深めて領解しなければならないものもある。

 連立政権は、教育基本法を改悪し、愛国心という言葉を教えさせただけで、国民をうまく欺けると思っていまのスタンスを続けていれば、必ずしっぺ返しを喰らうであろう。

 フィンランド、スウェーデンなどの教育が大きな効果を上げて、学力でも優れているのは、少なくとも教育を政権の道具にせず、国民的合意によって成り立たせているからである。

 自公両党の反省しなければならないところは、国会における多数を頼んで、無理矢理に、自分たちの思うことをやってのけたということである。

 教育基本法もその一つである。だがしっぺ返しを喰って、参議院選で敗北した。

 広島県教委は、小泉構造改革の反動路線を追い風に無茶苦茶なことをやった。広島県の教育は全国にさきがけて荒廃した。不登校、中途退学、学力の後退などがそれである。

 教職員を、まるで封建領主の下における家来、家臣のように扱った結果、「子どもにかかわる」ことができなくなってしまった。

 そんな状況をさらに進めようと、9月の地方議会で、やれ教育基本法だの「親学」だのと、自民党のあずり分別をする愚かな議員の動きが見える。



  『解放新聞広島県版』 2007年9月19日 第1888号