主張 少年犯罪と同和教育破壊


 

 わずか15、16才の少年(高校生)が、親や兄弟を殺害し、逃亡する事件をみる度に切なさとやるせなさで悲嘆に暮れる。

@一昨年の、東京で起きた管理人である両親を殺害し、部屋を爆破した事件。

A昨年は、父親の暴力から逃げるために自宅に放火し、母親と弟妹を焼死させた奈良医師宅放火殺人事件。

B最近では、福島県で下宿先のアパートで母親を殺害し、切断した頭部をバックに入れて警察に自首した事件。各々事件の背景や原因はさまざまあるが、共通点も浮かび上がっている。@では、小2の時から父親の指示に問答無用で従わされ、頭ごなしに叱られていた。Aは医師にならせるために、幼少期からスパルタ教育を強いられ、暴力をうけながら勉強させられていた。Bは県内有数の進学校に通っていたが、毎週下宿先を訪れ面倒を見ていた母親の、学業や生活態度等の押し付けが原因となっている。

親子の関係において、親の子どもに対する期待や願い、それを一身に受けて応えようとする子どものがんばりがあり、その調和がうまくとれず、事件へと発展している。

親が子どもの意見や気持ちを受け止めず、一方的に価値観や結果の期待を暴力的に押し付けている実態が浮かびあがる。

これらがエスカレートしてくると子どもは、親の期待する結果が出せない歯痒さで、次第に親に対して憎悪を抱き、この関係を何とかリセットできないものかと苦悩し、居場所のない惨めさの中で、「この親がいなくなれば」と、残忍な犯行に及ぶことになる。

われわれがこれまで学んできた「同和教育」は、全ての人間の尊厳、価値や個性を認め、相手の立場になって物事を考え、一人ひとりの命を大切にするということを強く提唱している。

教育行政の反動化によって、同和教育が否定されておおよそ10数年が経過するが、この少年たちはその犠牲者ではないのか。

子どもたちの価値を「学力」という一面的、機械的尺度のみで計り、人格の形成や人間の在るべき姿を創造していくという教育の本質や営みを破壊した結果だといえる。

親子、家族関係の崩壊や、地域社会との孤立、友達、対人関係においてコミュニケーションがとれず、社会に適応する力の衰退が顕著になっているのではないか。

経済至上主義にもとづく金が全ての「構造改革」が、苛酷で無意味な競争社会を作り、何があっても自己責任だとして、人間性の破壊へと追い込んでいるのである。社会荒廃や人間破壊の要因を、単に分析するだけでは許されない。日々部落解放運動に取り組むわれわれは、今こそ同和教育の理念やこれまでの実践に、真摯に学ぶことが急務といえる。

運動の後継者を育成するうえにおいても、青年や子どもたちを「理解し、認め、尊重し合う」営みが各地域において実践されることが今、求められている。きめ細かい取り組みが大切だ。さらには、組織の活力が低下している今日において、組織強化の観点からも、幹部活動家、支部大衆、お互いがお互いの立場を「理解し、認め、尊重し合う」という理念と実践を自己課題に日々取り組もうではないか。(M・T)

  『解放新聞広島県版』 2007年9月26日 第1889号