主張 自民党総裁選と解放運動の視点


  

 自民党総裁選は、予想通りに福田が勝った。安倍が辞意を表明して、あまり時間がたっていないのに、各派閥は一斉に福田支持となった。本命と思われていた麻生は、アンケツを食った感じである。

 どうして、このようなことになるのであろうか。政治の基本が「寄らば大樹の陰」となる小選挙区制であるからだ。小泉構造改革の郵政民営化のとき、反対の行動に出たものには、刺客が差し向けられた。選挙に落選させられた苦い経験をもつものもいる。選挙制度への恐怖心のようなものが、あのようなまとまりとなったと解すべきであろう。

麻生側の懸命な取り組みもあったのであろうが、派閥単位に福田支持を決めたとおりの票数になっていないのは、各人の表向きの態度と、腹の中が違っていたからである。つまり、保身のための素振りを見せたということである。小泉強権政治と安倍前首相のそれまでの政治手法に政治家が恐れおののいている姿である。

 小選挙区を基軸とする政治の仕組みは、人間をこんなにいびつなものにするということである。政権をとっている自民党においてさえこんなことだから、かつて革新といわれていた政党の議員も、小選挙区制に恐れおののいて、政界再編が何度も起きた。政治家は政策でなく、当選ができるかどうかだけが去就を決める基準になってしまった。「いま俺はどこの党かと秘書に聞く」という皮肉な川柳が聞かれることになったのである。

 「選挙区は自民党へ、比例区は公明党へ」と、自分の党の比例区を裏切るようなことが平然とおこなわれるのも、小選挙区制のもつ政治の欺まん性を表すものである。

この欺まん性は政党とか、政界の矛盾というに止まらない。われわれの部落解放運動にも大きな影響をもたらした。少数者切り捨てという社会意識をつくり出し、被差別者の集団に対する世間の態度は手のひらを返したようになった。部落解放運動が停滞し、同和教育が追い込められてきたのも、マイノリティーの権利も要求も、封じ込めてしまう体制ができあがってきたからである。

 福田個人の人柄の良し悪しを言っているのではない。体制の問題を論じているのである。辞意を表明しているとはいえ、内閣は厳然と存在していたにもかかわらず、自民党総裁選のニュースの氾濫をマスコミの手にゆだね、国会の機能を停止したままで、約2週間を政治空白にした。これを許した民主党にどのような意図があったのか。多数者保守同士の常識ということであろうか。

 国民の心配している課題は、社会保険庁の問題をはじめ山積している。せめて、衆参両院の委員会での議論を継続して、日々、ニュースとして舞い込む保険庁の横領事件ぐらいは議論してしかるべきであったのだ。

 部落解放同盟は90年代、小選挙区制が政治課題となったとき、マイノリティーの立場を忘れて、これを許し、多数派の意図するところに巻き込まれた。

 改憲の危機も漂うことになった。改憲と言わず加憲と言って社会意識に迎合している。対岸の火事と思ってはいけない。体制に危機意識を持たなければ、部落解放運動はさらに苦難の道を歩まねばならない。