主張 福田内閣の前途に思う


  安倍内閣はついに挫折した。小泉内閣の後を受け、その矛盾を背負った結果である。加えて、苦労せずに首相のポストを手にした脆弱さがあった。いくら何でも、所信表明演説の直後に、各党の代表質問も受けないで辞任するとは、憲政史上の珍事という他ない。「奢れる者は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」(平家物語)とは、よく言ったものである。

 安倍内閣は、改憲のための国民投票法の制定、教育基本法の改悪などを強行し、参院選で国民からしっぺ返しをくった。そして、民主党がその受け皿となったが、社民党や共産党は二大政党を予定する雰囲気に埋没させられ、低落傾向を止められなかった。

小泉構造改革とは、国民の多数を絞り上げ、大企業に儲けさせる政策である。これを「所得移転」と表現する評論家もいるが、庶民の懐から支配階級に財産を移転し、これら富裕層の番犬たる役割を担うことにより、引き続き政権の座を保障して貰おうとしたのである。

この後を受けて政権の座についたのだから、安倍政権がうまくいく筈はない。にもかかわらず、多数を頼んで強権政治をやろうとしたのだから、行き詰まるのは当り前である。

福田内閣も小泉政治の尻拭いという性格をもっており、同じ運命をたどるであろうと思われる。しかし、安倍内閣とは違って、自民党の危機を乗り切るためには「対話の手法」を取り入れなければならないというポーズをとっている。問題は、自民党内外の新自由主義者どもからどの程度の反撃を受けるかということである。

今の支配階級は寛容の精神が薄い。民主主義の高揚期のようなことはなく、「拉致問題」も、圧力をかける以外に解決の方法はないと思っている。これを考えると、安倍政権が敷いた圧力路線の軌道修正は非常に難しい。

小泉とそれに輪をかけた安倍の強権政治を修正できなければ、福田内閣の存在意義はない。しかし、それが許されるには限界がある。日本の政治環境というか、経済構造が大企業優先の構造になってしまったからである。

福田首相も「構造改革を進める」ことを前提において、格差など「影の部分」に目配りをすると言うのだから、小泉内閣以来の構造改革路線に対する心底からの反省はない。反省せずに、どうして経済格差を埋め、国民生活を安定させることができるだろうか。

 小泉構造改革は、非正規雇用の労働者を増やし、いまや年間所得200万円以下の国民は1100万人にも及んでいる。月額5万円程度の年金生活者も多い。自民党がいう景気回復とは、大企業の帳尻のことを言っているに過ぎず、国民の懐具合のことではない。「生活与党」というのを専売特許にしている公明党も、いつの間にか庶民の心を忘れてしまったのだろう。

福田康夫という人も、何としても「テロ特措法」を継続したいとする点では自民党の埒外ではなく、アメリカの侵略行為に加担してきた一員であることもはっきりしている。先般の所信表明は極めて低姿勢であったし、自民党内ではハト派であることも間違いはなかろうが、構造改革を継承すると言わざるを得ない限界があることを考えると、日本社会の問題を解決するには、なお部落解放運動をはじめとする大衆運動と世論の高揚が必要である