主張子どもの「うつ・そううつ」と今日の政治
人権教育(同和教育・平和教育など)と取り組もうとする教職員は、県教委や市町村教委ににらまれる。県教委は広域人事という名分をたてて、50キロ、60キロの遠隔地に転勤させて、いやがらせをする。
文科省・県教委の「日の丸」「君が代」以後のやり口は、おおよそ民主主義とは相容れない。いろいろなニュースを総合してみると、広島県と東京都が特に、その傾向が激しいようだ。
彼らは、子どものことを考えるというよりは、「反動的気分」を満足させるところにある。東京は石原都知事の反イデオロギーによるところが多い。
広島県においては、知事が少しボッーとしているということと、反動的県議に操られているということ、さらに、県教委の幹部が小心翼々として権力に対して「心の奴隷」になっているということである。
これらの人物は、やがて、自己疎外をおこし、自分よりさらに弱い現場教職員をいじめることに「快感」を感ずるようになる。
「家族に接するな」「報告ものを出せ」の指令を出して、子どもと接する時間を皆無に等しい状況にもっていく。
子どもたちは、学校の教職員たちに守られているという実感をなくしていく。
わが家に帰れば、生活苦によって学校の給食費も払えない実状にぶつかっている。
いくらなんでも年間所得が2百万円未満(1023万人)の世帯では、子どもにその「目顔(めかお)」を見せずにはおれないだろう。
子どもは、自分の人生に目標を失ってしまう。こんな悪循環が小泉構造改革のなせる罪禍であった。
「教育で勝負すればよい」というのは明治以来の日本における文教政策の
眼目である。つまり、政治のごまかしを教育で補えばよいというのである。
小泉構造改革の前の小渕内閣のときである。公明党が、にわかに「日の丸」「君が代」に賛成するということになって、自民党の反動派は喜んで「日の丸」「君が代」の法制化をおこなった。
つまり、国民個々人の魂を国家が管理するということである。
戦時中、「海行かば、水漬(みづ)く屍(かばね)、山行かば、草生(くさむ)す屍、大君(おおきみ)の、辺(へ)にこそ死なめ、かえりみはせじ」を歌わせたような格好にして、国民を操ろうとしているのである。
沖縄県民が怒っている、あの教科書問題も、集団自決に軍が関与していなければ、県民の一人ひとりが、どうして手榴弾を所持することができたであろうか。自民党の文教行政の過ちは明々白々ではないか。
さて、人権教育(同和教育・平和教育)を目の仇にしている間に、子どもの心は蝕まれ続けてきた。
最近、北海道大学の研究グループが調査したところ、「うつ・そううつ」の病状をもつ子どもたちが増加しているという。
驚くことは、中学1年生にあっては、10・7%がその状況にあるというのである。小学校4年生から中学1年生までの全体では4・2%だという。
「遊び時間が短い」とか「テレビの見すぎ」とかに直接関連性はないという調査結果だというから、やはり社会荒廃、家庭の経済力が、子どもたちの心を侵奪しているのであろう。