主張『中国新聞』と『読売新聞』
『読売新聞』は、前防衛省事務次官の守屋武昌氏に対する国会(衆議院)の証人喚問にかかわって、その社説の見出しを「疑惑解明は法案審議と切り離せ」としていた。
その論調は見出しによって、推測がつくであろう。「守屋氏は今後も、元専務との関係などを詳細に説明する責任がある」としながらも、自民党の主張を擁護し、テロ特措法の審議と切り離すことに世論を誘導しようとしている。
「日の丸」「君が代」で広島県連が文科省、広島県教委と対立しているとき、われわれを叩きにかかった『読売新聞』の態度は、フェアでなかった。
『中国新聞』はそのとき、特に世羅高校の石川校長(当時)の自殺事件をめぐって、少なくとも表面的には中立を装い、両者の意見を紹介した。
ジャーナリズムの姿勢を、最小限度のところで守ったということがいえる。
ところで、今回の守屋証人問題をめぐる『中国新聞』の主張はどうか。
「不信感が増すばかりだ」と社説に見出しをかかげている。読んで字の如く、政権与党の味方をしているようには見えない。「新たな問題となりそうなのが『元専務との宴席に防衛庁長官経験者を含む政治家が同席した』とした証言である」と書き、「防衛の中枢に巣くう『政官業の癒着構造』の一角であるとするなら、これで一件落着というわけにはいかない」としている。
日本の国の安全保障という任務をもつ防衛政策がこんなルーズな役人と政治家によって運営されているのかと思ったら、われわれの生命・財産は、このさきどのようになるのかと心配になってくる。小泉構造改革が国民大衆の生活を犠牲にして大企業の利益を守ることを強権的に推しすすめている間に、防衛庁は、守屋氏の態度に見られるようなことになっていたのである。
小選挙区制になれば、マイノリティーの権利は保障されにくくなるというのが、広島県連の主張であった。
しかし、部落解放運動全体からいえば、自らの利益が踏みにじられることを、部落出身の国会議員も、全国のそれぞれの同盟員のところにおいても気付かず、マイノリティーの権利は侵害され、ワーキングプアの状況を拡大してきた。
そのために、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」の社会意識が増幅し、運動は窮地に立たされることとなった。ここまでくると、気付かねばならない。
「格差」という言葉があり、中央と地方の「格差」を自民党と、それに寄り添う公明党も、地方財政、経済の現実から認めざるをえなくなっている。そこで、われわれの気付かねばならないことは、この社会荒廃に対し、「地方から中央へ」と反撃をかけなければならないということである。
『中国新聞』は中央紙・全国紙の部類ではない。地方紙という単一県のものでもない。中国地方(5県)に購読層をもっている。言うなれば、ブロック紙というところであろう。
中央紙・全国紙の国会(衆議院)の証人喚問に関する主張は堕落している。
『中国新聞』は、まだ正論に立っている。ブロック紙の健全性を評価したい。だが、その『中国新聞』、記者によっては、財政破壊寸前の、例えば府中市に関する報道記事は、迷路をさまよっている。編集部幹部の注意を促したい。