主張戦争の惨禍を思う
商店という商店には、ほとんど商品らしいものは並んでいなかった。食糧はすべて配給であった。着るものも、衣料切符で点数制になっていた。隣近所の若者は、兵隊にとられていなかった。
政府は着々と戦争の準備をし、アジア諸国を侵略していった。アメリカやイギリスや中国を悪く言わなければ「国民精神の統合」ができない。
大政翼賛会のようなものをつくり、政治は暴走しつづけた。「上御一人」(天皇のこと)のために生命を捧げるといった思想を青少年期に叩き込んだ。
街はまったく活気が無くなっていった。汽車に乗ろうと駅に行っても、切符が手に入らなかったので、人びとの移動もままならなかった。
国内外の民衆は塗炭の苦しみに遭った。死傷者の数が数千万人に及んだことはいうに及ばない。敗色濃厚となって、「学徒出陣」となり、理工科系の学生も、医学部の学生も、戦地に赴かなければならなくなった。神風特別攻撃隊に参加したものの苦悩を思わねばならない。
中等学校の男女生徒は、学徒動員となり、もよりの軍需工場で働かされ、食糧の配給も遅滞していたので、栄養失調で肺結核になるものもいた。殺伐たる状況であったが、マインドコントロールというものは恐ろしい。
極く少数のインテリには時代の状況が分かっていたが、勇気を持って日本と世界の状況を語るものはいなかった。一部の社会主義者は拘束されて、外の空気に触れることができないようにされていた。
最後には、自由主義者まで追われる身となり、天皇の軍部がすべてを仕切るようになった。学童は親もとを離れ、田舎に集団疎開をすることになった。
都会に残った両親は空襲で焼死し、戦争が終わっても、ついに、両親に会えず孤児となったものもいる。ヒロシマ、ナガサキの両市に対する原爆投下の残忍さは、人類の滅亡を考えさせる出来事であった。
全国の寺の梵鐘も、大砲や軍艦の鋼材として出さねばならなくなったが、そのときは、すでに日本の生産力は、それをしも活用することができないほどに空襲で破壊されていた。もう少し早く降伏していれば、沖縄の悲劇も、ヒロシマ、ナガサキもなかったであろう。軍部の空元気は、天皇制イデオロギーに寄り添い、これに照応した不合理な精神主義であった。
サイパン島、硫黄島が「玉砕」という全滅をした。それでも、本土決戦だと軍部と右翼政治家は呼号していた。唆されたということもあるが、食い詰めたものが、朝鮮半島、中国東北部などに出向いて、植民地支配の最前線に立たされた。敗戦により引き上げて帰るときの惨状は筆舌に尽くせない。
考えてみると、喉もと過ぎれば熱さを忘れるようでは、人間としての知恵に相当しない。第二次世界大戦の開戦日を忘れず、戦争というものが、いかに非人間的なことであるかを語り、「テロ特措法」のことを考えよう。
新聞やテレビは相談したように12月8日のことを語ろうとしない。400年も昔の「義士の討ち入り」のことは、何かのおりにふれて、マスコミは報道している。日本人が健忘症になっているのではない。権力の意を汲んでいないように見えて、マスコミの姿勢にカラクリがある。