主張部落解放運動の品性を自覚する


 明けましておめでとうございます。

自民、公明両党による限りない政治的ペテンは、格差を拡げ、生活困窮者を増大させている。世にいう「ワーキングプア」の続出である。家庭経済に行き詰まれば、心は荒れすさび、つい理性的コントロールができなくなる。毎日のように報道される殺人事件のような、凶悪犯罪の温床は、政治が作り出したものという認識が大事である。格差を拡大し、差別的手法によって、人びとは自己疎外に追いやられる。私たちの身辺に、その事例をいくらでもみることができる。

 経済的困窮は、かつて、日本が貧乏国と言われていたときの方が、問題を多くはらんでいたのではないかという人もいる。しかし、当時は社会状況からして、ものの不自由からくる「うっぷん」を積極的にそそのかし、無軌道な消費意欲を煽動するものはいなかった。今は大量消費に煽動するものがいる。資本主義経済が、大量消費を毎日のようにマスコミを使って煽動しているのである。

人びとは、この煽動に乗せられ、消費のために無軌道な金の荒使いに狂奔させられる。アメリカのサブプライムローンが社会の混乱を招いているのがその事例である。大小さまざまで、社会はピンからキリまで、金儲けに狂奔させられる。

せめて、政治が公平な再配分に意をもちいるなら、少しは矛盾が緩和されるであろう。だが、自民党政権は、「高いところへ土を」盛って、資本主義末期の矛盾を糊塗するばかりである。大企業は、史上空前の利益をあげているというのに、犯罪は増え、自殺者は3万人を越えている。世の中は荒廃の極に達していると言わなければならない。政府が、もしまともな考えに立つというなら、毎年、国家予算において百数十兆円もの金(特別会計も含む)を使っているのだから、相当程度、所得の再配分政策は可能なはずである。

部落解放運動は、社会的、歴史的原因に基づいて、社会的に疎外されていることを解決するために、それを「国の責任」と位置づけ、身分差別の根本的解決に努力しているのである。そして、経済的再配分のこととあわせて、人間の尊厳(自主性、主体性)を復権しようとするものである。

この重大な社会的任務をもつ部落解放運動が闘いの方向を誤ると、日本資本主義の出発時における歴史的経過からして、労働運動の気概を衰退させることになる。労働運動の盛衰に重要な影響をもつのである。「身分と階級の統一的把握」とか、「市民的権利を階級的に闘う」などの思想的概念は味わうべき深い意味を持っている。

同対審答申では、この解決を「国民的課題」とも言った。国民の圧倒的多数が労働者という意味で、そんなことを言っているのではない。近代市民社会の構成員は、少なからず近代社会が内包する矛盾に影響される。とりわけ労働者階級は理不尽な搾取、収奪に悩まされる。このような事態にみまわれる労働者は、悲しいかな、市民社会の権利意識も削ぎとられていく。部落解放運動が健在でなければ、権利意識が労働者階級のあいだにいきいきと存在し続けることが難しくなるのである。われわれの運動の品性が日本の将来に大きい影響をもつ。2008年の新春にあたって、運動の品性をあらためて噛みしめよう。