主張 解放理論の新たな創造のために
部落解放運動の低迷は、小選挙区制による総保守化体制になってからである。
96年「地対協」意見具申の「一般行政への円滑な移行」を、当時の中央本部の幹部は大会答弁で、これを容認した。「容認はしていない」と言いわけをするものがいるかもしれないが、その答弁には、「一般行政なら何でもできる」という説明もつけ加えた事実がある。
「同和対策事業特別措置法」といった水準では完全解放は達せられないと、「基本法」を求めていた最中の出来事であった。理論と運動が混迷していたのである。
全国的水準においては、このような状況を半信半疑でみていたと思われるが、これに対して、「過ちだ」と指摘しきれない弱さというものがあったことを反省しなければならない。
総保守化体制は、小泉構造改革のような格差の拡大をもたらした。部落解放同盟の幹部の中には、「格差の拡大」の事実を差別と捉えるのではなく、「差別の本質」は観念(ケガレ意識)の中にこそあるというものもあった。
「同対審」答申の「差別は単なる観念の亡霊ではない」という分析に対し、正反対の主張が公然とおこなわれたのである。
昨年は、非正規雇用の労働者が増大し、全労働者数の3分の1にも達している。ジニ係数(貧困度をはかるものさし)も悪化が顕著になってきた。
このような状況で、部落解放運動が現実を直視し始めたのは当然の成り行きと言わねばならない。
「三つの命題」の学習を進めることを、全国大会の運動方針の中で提起している。とりわけ、「部落差別の社会的存在意義」に照らして、差別の現実とそのカラクリを見なければならないと方針に書き込んだことは、まさに時機を得たものと言わねばならない。
小選挙区、総保守化の動向に、あまりにも長くひこじられたといわねばならないが、「身分と階級の統一的把握」をめざし、運動が正しく歩もうとするものだと期待できる。
ただ、「三つの命題の今日的理論分析を必要とする」の条件のようなものがついている。
これまで、「三つの命題」を軽んじてきたものへの妥協として、この言葉を入れたのか。それとも、今日の「ジニ係数」にかかわる差別構造を分析しようというのか。
後者なら、日本資本主義が、アメリカの世界戦略の一員として、「富めるものと貧しきもの」の二極化を拡大していることに、今日の部落差別を分析する重要な視点があるということになり、部落解放運動が、再び労働者階級から、「信じられる友」になる可能性を示し始めたということになる。
部落解放運動の大会や各種全国集会に自民党の幹部が出てきてあいさつをするにしても、「同対審」答申完全実施、「特別措置法即時制定」をかざしている頃のものは、部落解放の理念に、彼らが押されて、ものを言っていた。
しかし、総保守化となってからは、残念ながら、反動的な差別主義者も政権党を代表してあいさつしている。われわれの方が、次第に彼らの思想に影響されているのである。
心しておかなければならないことは、今日の運動方針が分析している「差別の現状」は政権党によってつくり出されているということである。